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ちょっとしたこと、小さなことでイライラしたり、落ち込む自分を変えるには?

ちょっとしたことなんだけど、考えてみれば小さなこと、どうでもいいことなのだろうけど、そんなことにイライラしたり、落ち込んでしまう自分がいる。

そんな自分に疲れてしまったり、そんな小さなことやどうでもいいようなことにイライラしている自分も何だか情けなく思えてしまう。

そんなこともあるかも知れません。

そんな、ちょっとしたこと、考えてみれば、本当はどうでもいいようなことでイライラしてしまうのは何故でしょうか・・?

以前、小さなことにイライラしたり落ち込むようになる原因とは?にて、小さなことにイライラしたり、落ち込むようになる原因について書かせていただいたことがありました。

今回は、前回の簡単なおさらいも含め、また違った角度から、小さなことにイライラしたり、落ち込んだりしないための方法についてご紹介してゆきたいと思います。

また、イライラしやすい人とそうでない人の違いは何だったか?ということについてやちょっとしたことではイライラしない自分になるためには具体的にどうしたらいいか?ということについても紹介してゆきたいと思います。

「イライラすることがあったっていい」

ちょっとしたことにイライラするようになったり、落ち込んだりするようになると、とても辛い毎日になってしまうことがあります。

それは「ちょっとしたこと」なので、自分をイライラさせたり、落ち込ませる出来事が至るところにあって、辛い。

こんな時、イライラしないためにはどうしたらいいのか?と考えるのは、いいことだと思うのです。

ただ、イライラしちゃだめだと思って、イライラしないようにしてみたけど、うまくいかなかった。

または、イライラしないようにしてみたら、今度は落ち込みやすくなってしまった・・ということもあるかも知れません。

イライラ、怒りというのは、感情の一種ですが、感情というのは、不思議な特徴があって、それは何かというと、否定されると大きくなる・・ということのようです。

不安もそうです。

だから、「不安になっちゃだめだ」と思うと、余計、不安になったりします。

感情には、もう1つ特徴があって、それは何かというと、受け入れると小さくなってゆく・・ということのようです。

イライラも一緒で、小さなことでイライラしちゃだめだと思うと、余計、その感情が大きくなったり、または、その小さなイライラがどうにもコントロールできなくなっていくことがあります。

これは、例えば、友達に話を聞いてもらうことを考えるとわかりやすいかも知れません。

例えば、「友達にお祝いを贈ったんだけど、返事すらこなかったんだ」という話を友達にしたら・・

「世の中にはそんな人もいるんだから、一々イライラしてちゃだめだよ」

と言われるのと・・

「そっか。返事くらいしなきゃだめだよね。それは怒って当たり前だよ。」

・・と言われるのでは、どちらが気持ちが楽ですか・・?

恐らく、多くの方は、後者の方が気持ちが楽になれるのではないかと思うのです。

それは、友達が自分の気持ちを受け入れてくれたから、だと思います。

最初の友達は、自分の気持ちを否定しています。だから、何だか気持ちが楽になれなかったりするかも、知れません。

ちょっとしたこと、どうでもいいことにイライラする・・・というのも、本当はそういったことにイライラしなければ、楽なのでしょうけれど、ただ、理由があって、イライラしてしまったということが多いと思うのです。

何か事情があって、イライラするわけです。

そんな時は、先ほどの後者の友達がやってくれたように・・

「そういう時もあるさ」
「今は、それでいいよ」

・・と自分に語りかけてみると、楽になれることがあります。

ちょっとしたこと、どうでもいいことでイライラする自分、落ち込んでしまう自分を変えるにはどうしたらいいか?ということをお話する前に矛盾するかも知れませんが・・

ただ、そんな自分を変えてゆくにしても、今の自分を否定することからはじめるのではなくて、「今は、それでいい」と自分を受け入れることからはじめてみると、うまくいくことが多いように思います。

ちょっとしたことかも知れない。どうでもいいことかも知れない。だけど、今の自分はそれが嫌だったんだよね、と。

そして、今はそれでいい。と思ってみます。

それから、先ほどのイライラしちゃだめだと思うと逆効果・・というお話ですが、「~してはだめだ」は否定ですので、これも感情が相手の場合はなかなか、うまくいきません。

その場合は、「~してはだめだ」ではなく、「~しよう」と思ってみると、うまくいくことがあります

例えば、「イライラしてはダメだ」と思うことは、感情を否定しようとしているので、うまくいかないことが多いです。

そうではなくて、例えば「イライラしたら、『今はそれでいい』と自分に言い聞かせてみよう」・・という風に(感情をどうにかしたいと思った時は)「~しよう」と考えてみると、うまくいくことが多いです。

原因の1つは心にたまってゆく荷物

冒頭でご紹介した記事、小さなことにイライラしたり落ち込むようになる原因とは?でも書かせていただきましたが、小さなことにイライラしてしまう原因の1つは、心にたまった荷物です

心にたまった荷物というのは、不満やストレスのようなものになります。

人は誰もが程度の差はあっても、色々な欲求を抱えています。

ただ、その欲求というのはすべてが満たされることはまずありません。

そして、その満たされなかった欲求または不満、ストレスのようなものは、何もしないと、心にたまってゆきます。

これは自然と心から消えてゆくようなものではなくて、たまってゆくものになります。

その不満やストレスが一定以上たまってしまうと、心がうまく機能しなくなる、または場合によっては軽度のうつ状態になってしまうこともあります。

そうなると、本来の自分ではいられなくなったり、ちょっとしたことでイライラするようになったり、または、ちょっとしたことで落ち込みやすくなったりすることがあります

そんな時、「自分はどうしてしまったんだろう」「こんなことでイライラして、情けない」と思うかも・・知れませんが、それは、荷物がたまりすぎて、心がうまく機能していないから、なのかも知れません。

それはつまり、本来の自分ではない・・ということなんだと思います。

こうなると、小さなことやどうでもいいことに対しても、うまく対処できなくなったりして、怒りっぽい自分になってしまったりすることがあります。

その場合は、まずその心にたまってしまった荷物を捨ててしまうことが大切になってきます。

すると、心はまた、正常に機能してくれるようになります。

そうすると、何もしなくても、小さなことやどうでもいいと思うようなことは、スルー出来る自分に戻れることがあります。

この心にたまった荷物ですが、対処方法がいくつかあって、人は無意識の間に自分なりのやり方でその心にたまった荷物、不満やストレスに対処していると言われています。

これについてはまた機会があれば詳しく書いてみたいと思いますが、ただ、今簡単に書くと・・

その対処方法は主に4つあると言われていて、その中の1つが「抑圧」になります。

つまり、抑え込むこと・・ですが、このやり方だと、その場はなんとかおさまるのですが、荷物が心にたまってゆきます。

つまり、心に荷物がたまってゆくのは、「抑圧」しているから・・ということになります。

ただ、「抑圧」は時に、大人のやり方でもあるのかなと、思います。

人が無意識にやってしまう他の対処法に「置き換え」というものもありますが、これは満たされなかったものを何か別のものに置き換えることで、その満たされなかったものを満たそうとすること、になります。

これは例えば、悪い例では八つ当たりがそうです。

八つ当たりは、少なからず、誰でもやってしまうものかも知れませんが・・ただ、大人のやり方ではないかも知れませんし、満たされなかったものは(置き換えることで)満たしても、今度は別の問題がやってきてしまうこともあります。

「抑圧」は自分の中だけで処理しようとするやり方で、それは時に大人のやり方※でもあるのかも、知れません。

※ただし、「抑圧」をすすめているわけではありません。

その満たされなかったものを自分を動かすエネルギーに変える、またはそのエネルギーを使って、人や世の中のためになる活動を行うという方法もあり、このやり方が文明や社会の進歩の原動力になっていると言われています。

ただ、抑圧すると、心に荷物がたまってゆくので、抑圧したら、その荷物を何かしらの形で捨ててゆく必要があります。

その捨て方ですが、この心にたまったものは、ある種のエネルギーなので、それを捨てるためには、そのエネルギーを消費してあげることがとても効果的です。

具体的には、運動をします。

体を動かす。歩く、走る、泳ぐ・・・何でもいいのですが、体を動かすと、そのエネルギーが消費されて、気持ちが楽になれることがあります。

その心にたまったものは、汗となって出てゆくようですので、できれば、軽く汗を流せる運動がいいかも知れません。

詳しくは、小さなことにイライラしたり落ち込むようになる原因とは?にて書かせていただきましたので、よかったらそちらを参照ください。

「こうあるべき」を捨てるほど、楽になれる

さて、ちょっとしたこと、どうでもいいことでイライラする、落ち込んでしまう原因は他にもあるかも知れません。

その中の1つは、自分の中にある「こうあるべき」という思いかも、知れません。

その「こうあるべき」という思いが自分の中にあればあるほど、生きづらくなってしまうことがあります。

「こうあるべき」と思っていると、そうではないものが許せなくなっていき、それが本当であれば小さなこと、どうでもいいことにイライラしてしまう原因になることもあるようです。

例えば、人混みの中で、軽くぶつかってきた人がいたとします。

その人は「すみません」とは言わずにそのままいなくなってしまいました。

その時、(本当は小さなことだと自分でも思うけど)イラっとしてしまったとします。

だけど、同じ状況でも何とも思わない人もいます。

何が違うのか・・?

・・というと、イライラしてしまったのは、自分の中に、人混みの中では人にぶつからないように歩く「べき」(または、もっと大きな範囲で、人に迷惑をかけないようにする「べき」)という思いがあったから、かも知れません。

では、イライラしなかった人は?というと、もしかしたら、「人混みとはそういうもの」と、ぶけられたりするものだと思っていたのかも、知れません。

これは、怒りの原因と「期待」について。怒りは第二の感情?でも書かせていただきましたが、「期待して」、その期待が裏切られることが怒りを引き起こすこともあります

だから、期待しないでおくということ、期待を下げておくことも、イライラしないためには効果的な方法だと思います。

「人混みとはそういうもの」と思ってみることも、期待を下げることになると思います。

人に迷惑をかけないようにする「べき」・・ということですが、「人に迷惑をかけないようにする」ことは間違ってはいないと思うのです。

または、「ぶつかったら、謝るようにする」ことも間違ってはいないように思います。

ただ、「べき」には「義務づける」という意味もあります

人に迷惑をかけないようにする「べき」となった途端、その迷惑をかけないことが自分にとっての「義務」になります。

ただ、そこまでなら、小さなことにイライラするところまではいかないかも知れません。

ただ、この「義務」というのは、自分だけではなくて、他人にも求めてしまうことがあります。

つまり、「人に迷惑をかけないようにするべき」と思うと、自分にとっても、他人にとっても「迷惑をかけないこと」が義務になります。

「ぶつかって謝らずに去っていった人」はこの義務を守っていないことになります。

これが小さなことなのに、本当はどうでもいいことなのに、許せない理由かも、知れません。

「~べき」ではなくて、「~したい」

「べき」は「義務」というお話をさせていただきました。

だから、「べき」が沢山自分の中にあると、それだけ自分への、または他人に求める義務も増えていってしまうことがあります。

問題は、この世の中が、ある意味、不完全な世の中だということかも知れません。

人も、色々な人がいます。

例えば、人に迷惑をかけないように周りを気遣ってくれる人もいれば、人に迷惑をかけても何とも思わないような人も中にはいるかも知れません。

そういう不完全な世の中で、「べき」(義務)を増やしてゆくと、どうしても、色々なことが許せなくなってゆくかも、知れません。

そんなことに自分が疲れ果ててしまった時は、少しづつでも、その自分の中にある「べき」というものを何か違うものに変えていけたらいいのかも知れません。

これは完璧主義の4つの治し方、やめる方法とは?でも書かせていただきましたが、そんな時は「~べき」だからやるのではなく、「~したい」からやる・・という風に変えてみると、人に同じことを求めたり、その何かを自分に義務付けることをせずに済む場合があります。

例えば、「人の思いを大切にするべき」と考えると、それが自分にとって義務になり、また、それは「義務」である以上、同じことを他人にも求めてしまいます。

そうではなくて、「人の思いを大切にしたい」という風に考えてみると、自分の考え方や価値観を大切にしながら、同時に他人(そして、自分)も許せるようになることがあります。

上記の記事でも書かせていただきましたが、「~したい」は自発的なのに対して、「べき」というのは、強制的です。

だから、「~したい」という思いがいくつあってもそんなに疲れたりはしませんが、「~べき」という思いが増えると、自分はどんどん疲れてゆくかも、知れません。

小さなことや本当はどうでもいいことにイライラする自分に気づいて、そんな自分に疲れてきたら、自分の中に「~べき」という考え方がないかどうか探してみて、もしあったら、それを「~したい」に変えてみようとしてもいいのかも知れません。

もっとも、「~べき」という考え方を自分の中に見つけたからといって、例えば、一夜にして、それを「~したい」に変えられるかといったら、人はそんなに単純なものではないかも知れません。

自分を変える方法とは?自分を変えたいと思った時にできること

一夜にして変身できたらできたで、それも問題なわけです。
朝、起きたら、別人になっていても困るわけですから・・

ただ、少しづつでも自分の中に「~べき」はないかと探し続けて、そして、意識して、「~したい」からするんだと自分に言い聞かせて、そして、それを実践し続けてゆくことで、その「~べき」を手放せるようになることもあります。

時間はかかっても、少しづつ変えてゆく、そして、そのために、意識し続けてゆくということが大事なことだと思います。

そんな風にして、根本にあるものを変えてゆくことで、感じ方、感情というものは大きく変わってゆくように思います。