怒りの原因と「期待」について。怒りは第二の感情?
怒りについてはこれまでイライラしない方法と原因のまとめやちょっとしたこと、小さなことでイライラしたり、落ち込む自分を変えるには?などでご紹介してきました。
今回は怒りという感情について少し別の方向から考えてみたいと思います。
怒りは第二の感情?
「怒り」というのは感情の1つですが、「怒り」については第二の感情だと心理学の世界では言われたりします。
第二の感情・・・ということは、第一の感情があるということになります。
つまり、第一の感情があって、その結果・・・感じるのが第二の感情です。
怒りをコントロールしようとしても、うまくいかない原因の1つはもしかしたら、その第一の感情が関係しているのかも、知れません。
第一の感情の裏にある「期待」
じゃあ、第一の感情とは何なのでしょうか・・・?
その第一の感情には実は「期待」というものが関係しているようです。
何かを「期待」する・・・ところが、その期待が裏切られた時、人は何かしらの感情、例えば、「悲しい」といった感情を感じるようです。
その期待によって引き起こされる感情が第一の感情。
その第一の感情の結果・・・感じるものが第二の感情、つまり、「怒り」ということかも・・・知れません。
極端な例ですが、自分の話ばかりする自分勝手な人にイライラしてしまった・・・とします。
この時の「怒り」が第二の感情だとしたら、その前に第一の感情があるはずです。
そして、その第一の感情には「期待」が隠れている、はず。
その「期待」は例えば、「少しは自分の話も聞いてくれるだろう」・・・というものだったとします。
「少しは自分の話も聞いてくれるだろう」と「期待」していたのに、その期待を裏切られて話を聞いてもらえなかったことで感じたのは(第一の感情は)「悲しい」というものだったのかもしれません。
そして、その「悲しい」という第一の感情に続いて感じたのが第二の感情である「怒り」だった、のかも。
この場合、「怒り」そのものをどうにかしようとすると、どんどん自分が苦しくなってしまうことがあります。
この場合は、第一の感情は何かと考えて、そして、その裏にあった「期待」を見つけることが大切なことなのかも知れません。
怒りそのものをコントロールしようとするよりも・・
はじまりの「期待」の部分を少し変えてみることが結果的には「怒り」をコントロールすることにもなる。
今回の場合の「期待」は「少しは自分の話も聞いてくれるだろう」・・・というものでした。
もし、その期待を捨ててしまえば・・・第一の感情を感じることもなく、第二の感情も必要なくなります。
次に会う時も「相手は話を聞かない人なんだ」と考えて、予め、「少しは自分の話も聞いてくれるだろう」という「期待」を捨てていくことで、怒りは感じないかも知れません。
ただ・・・そんな風に割り切って考えることも、例えば、相手が友人だったりするとすごく難しいことかも知れません。
「少しは自分の話も聞いてくれるだろう」・・・そう「期待」することは決して悪いことじゃないと思うんです。
そういう相手ですから、この場合は。
だから、例えば、そういうケースは、どうしても「期待」してしまうようなことであれば、怒ったっていいんじゃないかなと、思うんです。
そして、そうやって自分を「怒ったっていい」と許すことは、その怒りを手放すことにもつながってゆくと思います。
ただ、次は・・・少しでもその「期待」を手放した状態でその相手と会うことができたら・・・もしかしたら、そんなに悲しくならずに済むかも知れません。
そして、もし、自分の友達とか、そういうどうしても期待してしまう人以外に関しては、最初から、期待しないようにすることが、自分の怒りをコントロールするためには良い方法なのかも知れません。
期待しないようにする・・・とは、「~であるべき」とか、「~するはず」という思いを捨ててしまう・・・ということです。
全部は捨てなくていいと思うんです。
ただ、少しでもそういう、「~であるべき」とか、「~するはず」という思いを手放してみることで、気持ちが楽になれることがあります。
例えば、お店の店員さんに「丁寧に接客するべき」という「期待」をしていると、丁寧ではない店員さんに「期待を裏切られて」「悲しくなり」、その結果、「イライラしてしまう」かも知れません。
ところが、「そんなに優れた店員さんばかりじゃない。丁寧な接客をしてくれる人に出会えたらラッキー」・・・と、「期待」をあらかじめ捨てていくと、おかしな接客をする人がいても・・・「面白い人がいるなぁ(笑)」位に思える・・・かも知れません。
もっとも、期待を手放すことは簡単なことではないですし、どうしても手放せないものもあると思うんですね。
だけど、怒りに自分がコントロールされてしまっていると感じた時には、第一の感情を見つけて、そして、その裏にある期待の部分を少しだけでも捨ててしまう、手放してしまうことで、気持ちがぐっと楽になれることがあります。