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諦めることと逃げることについて。方向転換は逃げじゃない

自分で決めて始めたことで、一生懸命、自分なりに頑張ってきたけど、これ以上続けるのが辛くなった。

そんなこともあるかも知れません。

そんな時は、途中で諦めてしまうこと、途中でやめてしまうことが逃げることのように感じて、何だか情けない気持ちになってしまうかも知れません。

ただ、諦めることがイコール逃げることとは限らないと思うんですね。

時には諦めて次に進むべき時もあって、そこで方向転換をしたことで自分が本当にやりたいことを見つけてゆく人も大勢います。

今回は諦めること、そして、逃げるということについて考えてみたいと思います。

目次

方向転換は逃げじゃない

自分で決めて、そして、始めたことであっても、実際にやってみて違うなと思うことってあると思うんですね。

じゃあ、そこでやめてしまうのは逃げかというと、それはそれぞれの事情が違うので、一概に逃げかどうかというのは言えないかも知れません。その人が置かれた状況によって、とるべき行動はガラっと変わってくると思うんですね。

ただ、自分でこれは違うなと思って、そして、それを諦めて違う道に進むことは多くの場合、逃げではなくて方向転換なんだと思います。

そして、方向転換は決して逃げではないと思うんですね。

方向転換をして、自分が本当にやりたいこと、自分が本当に望むことを手に入れる人も大勢います。

むしろ、方向転換をしない人生は稀なのかも知れません。

ただ、一度自分で決めたことを途中で諦めてしまうことに抵抗がある人もいるかも知れません。

例えば、夢を諦めることに何だか罪悪感のようなものを感じる人もいるかも知れませんし、ここで諦めて後悔しないだろうかと悩む人もいるかも知れません。

これは以前にも書かせていただきましたが、後で後悔しないための決断方法というものもあると思うんです。

夢を諦めるべきか迷う時、後悔しないための決断方法

ただ、最終的に諦めるという決断をしても、それは逃げではなくて方向転換なんだと思います。

それに、途中で諦めるにしても、やってみたこと、挑戦したということに意義があって、たとえそれが何も形になっていないように見えても、その経験は決して無駄にはならないと思うんです。

うまくいかなかった経験にも価値があるというか。後になって、その経験が生きてくるということが多々あります。

一番大事なのは、それがうまくいったかどうかという結果よりも、そこに向かっていったこと、挑戦したことそのものなのだと思います。

楽しく生きることが人生の目標になった時、諦めることは「いいこと」に変わる

少し僕自身の話になりますが、以前の僕の人生の目標は、何かを成し遂げること、何者かになることでした。

その当時の自分は自己価値感(もしくは自己重要感)がとても低く、だからこそ、何かを成し遂げたいと思っていたし、何者かになる必要がありました。

何かを成し遂げることで、または何者かになって人に認めてもらうことで「自分は自分でいいんだ」という思いを手に入れるために・・です。

ただ、色々なことがあって、ある時、人生の目標を楽しむことそのものに変えてしまおうと思ったんですね。

何かを成し遂げること、何者かになることが目標だった頃は、何かを諦めることに抵抗がありました。

何かを継続することを評価してもらえることはあっても、何かを諦めることは評価してもらえないから、むしろ、人からの自分に対する評価が下がってしまうと感じていたためです。

ところが、楽しく生きることそのものを人生の目標にしてからは、何かを諦めることにそれほど抵抗を感じなくなりました。

何かを継続するのは自分がそうしたいからするのであって、人からの評価を得るため・・ではなくなったからです。

楽しむことそのものが人生の目標になった時、諦めることは何かを失うということではなくて、むしろ、何かを得るために行うことへと変わってゆきました。

もっとも、「楽しむ」といっても、毎日が充実していて、楽しいことばかり・・・ということが必ずしも楽しいということではないと思うんですね。

うまくいかなくて、迷ったり、もがいたりしながら、それでもその先に光を見つけてゆくということも、楽しいという気持ちにつながってゆくものだと思うのです。

だから、諦めるといっても、何でもかんでも諦めるわけではなくて、むしろ、しぶとく諦めないことで、その先に楽しみを見出してゆくこともあって。

ただ、今の自分は、自分が納得した上で諦めることは、それはいいことだと思っています。

人は何かを手に入れる時、何かを諦める、失うものだと思うんですね。

例えば、結婚してパートナーと幸せな生活を手に入れるということは、これまで友達と過ごしていた時間(の一部)を諦める、失うということでもあるかも知れません。

これは「正負の法則」と言いますが、何かを得たら何かを失うもので、それはどんなことにも当てはまると思うんです。

何かを手に入れれば、何かを失う。

ただ、その反対のことも言えます。

何かを諦めれば(失えば)、何かが手に入ります。

何かを諦めるということは、何かを手に入れるということにつながってゆくように思います。

逃げることは悪いことか?

最後に逃げるということについても考えてみたいと思います。

「逃げる」というとあまりいい印象を持っていない人もいるかも知れません。
逃げることは悪いことのように思う人もいると思うんです。

勿論、一口に逃げるといってもその人によって状況が全く違うので、一概に逃げることは悪いことだとか、逃げてもいいといった風には言えませんが、ただ、僕は逃げることは必ずしも悪いことではないと思ってます。

むしろ、逃げることが必要な時だってあると思ってます。

「逃げるが勝ち」という言葉もあります。

何でもかんでも立ち向かってゆけばいいかというと、僕はそうは思ってはいなくて、時にはサッと逃げることが必要な時もあると思うんです。

何年か前の話ですが、毎日ひどい残業続きで、心身共に疲れ切って限界に達していた人がいて、その人から「ここで辞めてしまうのは逃げることになりそうで・・」と話していただいたことがあるのですが、その時は「それは逃げるべき時ではないですか」とお伝えしたことがありました。

もっとも、人には色々な事情があって、逃げるべき時かどうかはケースバイケースだと思います。ただ、一時、無理をすることはよくても、無理をし続けてはだめだと思うんですね。

無理をし続ければ、いずれは自分が壊れてしまって、結局は自分にとっても、周りにとってもいいことはないわけですから。

ただ、そういう自分自身、以前は逃げることは悪いことだと思っていました。

辛くても頑張ることに美徳のようなものを感じていたし、何より、逃げることで悪く思われたくなかったからです。

ただ、人生の目標を変えたり、自分は自分でもいいという思い(自己価値感)を少しづつ手に入れてゆく中で、以前よりも少し大きな視点で、これは踏ん張るべき時かどうか・・・という判断ができるようになっていったというか。

自己重要感という悩みの根源。自己重要感を高める2つの方法

例えば、どう判断すればいいかということは、その瞬間だけを見てもわからないことがあると思うんですね。

少し先のことも含めて考えた時、ここで無理に頑張らない方がお互いにとっていい・・ということもあるわけで。

自己価値というものを感じられるようになってからは、逃げるということに対する感じ方というのも変わっていったように思います。

少し話がそれましたが、僕は、逃げるが勝ちという場面もあるように思います。