人を嫌いになる4つの理由とは。すぐ人を嫌いになるのは何故?
「好き」と「嫌い」というのは、とても近い感情であると言われることがあります。
え?近い感情?
「好き」と「嫌い」って反対の感情じゃないの?
・・と思ってしまいますが、どうもそうではないようです。
これは「愛」と「憎しみ」という感情の関係によく似ているかも知れません。
「愛の反対は憎しみではなく、無関心」
マザー・テレサの言葉ですが、好きの反対も、無関心、もしくはそれに近い何かなのかも。
今日は、嫌いという感情について、何故、人は人を嫌いになるのか?その4つの理由について、また、すぐ人を嫌いになってしまう原因についても見てゆきたいと思います。
目次
気持ちを裏切られて、相手を嫌いになる時、ならない時。好きだった人を嫌いになる理由
好きだった人。例えば、付き合っていた恋人ですとか、仲がよかった友達、または、家族や親戚・・
そういった好きだった人から、何らかの形で自分の気持ちを裏切られて、その人が嫌いになることがあります。
これは、裏切られたのだから、嫌いになるのは当然のことだと思うんですね。
ただ、同じように裏切られたとしても、人によっては、嫌いにならない人もいます。
例えば、以前の親友に自分の気持ちを裏切られて嫌いになることはあるかも知れません。
ただ、それほど仲の良くない友達に気持ちを裏切られても、「もう付き合いたくないな」と思うことはあっても、「嫌い」にはならないかも知れません。
この違い、好きだった人に気持ちを裏切られて嫌いになる理由ですが、それは「好きでいることが辛いから」かも知れません。
人は、一度好きになった人を本当の意味で嫌いになることはできないと言われたりしますが、気持ちを裏切られても、その昔の相手のことが好きという気持ちはすぐになくなったりはせず、そこに残ったままだと思うんです。
だけど、好きだった人に気持ちを裏切られることは、ものすごく辛いことだと思うんですね。
それは辛すぎるから、だから、この「好き」という気持ちを何とか手放したくなります。そのままでは気持ちのバランスが取れないからです。
そんな時、「嫌い」になろうとすることで、この好きという気持ちを抑え込もう、手放そうとするというか。
この場合の「嫌い」という感情は、心の痛みが伴っていて、好きだった人を嫌いになるということは、それだけ自分が傷ついたということだと思うんですね。
ただ、嫌うという行為は、大きなマイナスのエネルギーに溢れていて、自分が疲れてくるし、嫌えば嫌うほど、自分に負担がかかります。
そういう意味で誰かを嫌うという行為は、自分を痛めつける行為でもあるのかも知れません。
そして、多くの場合、嫌いになることで、何かプラスの未来につながることは少なくて、それは自分にとっては決していいことではないと思うんですね。
じゃあ、例えば、好きだった人に裏切られた場合、その人を嫌いになる代わりに何ができるでしょうか?
手放すこと。だけど、好きだった気持ちは手放さなくていい
こんな時、できることはいくつかあると思うんです。
1つは、相手への思いを手放してしまうということです。
相手への思いを手放すというのは、好きとか、好きだったという思いを手放すのではなくて、気持ちを裏切られたことで生まれた相手への思いを手放す・・ということです。
恋人ですとか、親友ですとか、家族もそうですが、そういう人に信じられない形で裏切られてしまうこともあるかも知れません。
そんな時は、相手に対して色々な思いが湧き上がってきます。
何で、私をこんな目に遭わせて、平気な顔をしているの?
何で、私の気持ちを無視するの?
何で・・・
という風に色々な思いが湧き上がってきます。
そして、その思いに振り回されて、余計に辛くなってしまうこともあるかも知れません。
こんな時、自分が楽になるには、そういった自分の中にある思いを手放してしまう必要があると思うんです。
自分を苦しめているのは、その何故・・という思いなので、その思いを手放せば、自分は楽になれます。
もっとも、悔しいし、納得できないからこそ、その思いを手放せないでいるわけです。
だけど、そういった思いを手放すことが、これから自分が笑って生きてゆく道でもあるかも知れません。
相手のことを好き、または好きだったという思いはそのままでいいと思うんです。それを捨てようとすると「嫌い」という感情が湧いてきて、今度は嫌いというマイナスのエネルギーに自分が苦しむことになります。
そうではなくて、好きのままでいいけれど、これからを自分が笑って過ごしてゆくために、手放すという道を選ぶというか。
そして、相手が例えば友達であれば、距離をとってみます。十分に離れてみる。好きという思いに苦しまない距離まで離れてみます。
そうやって好きという思いに苦しまない距離まで離れてみた時、「嫌い」という感情は不要になるかも知れません。
人を嫌いになる理由と「投影」。自分の嫌なところが相手に見える?
人の嫌いなところというのは、実は自分でもどこかで認めている自分の嫌なところである。
心理学の世界では、そんな風に言われることがあります。
言い換えると、人に見える嫌なところというのは、自分がどこかで感じている自分の嫌なところの投影のようなもの・・・ということになるでしょうか。
人は不思議なもので、自分の中にあるものが相手に対しても見えるようです。
これは以前に少しお話させていただいたことがありましたが、例えば、友達と話をしていて、「心の優しい人だなぁ」・・と思われることがあるかも知れません。
それは、その友達が心の優しい人だったから・・かも知れませんが、でも同時に自分の中にも同じような心の優しさがなければ、それは見えないものだと思います。
「心の優しい人だなぁ」
そう思った方も、心の優しい人なのだと思います。
「思いやりのある人だなぁ」
そう誰かに対して思った方も、思いやりがある人です。
例えば、Aさんという人がいます。Aさんは今、「コーチのバッグが欲しいなぁ」・・と思っているとします。
すると、街でコーチのバッグを持った人がAさんの目に飛び込んできます。
もう一人、Bさんという人がいます。
Bさんは「車を買い替えなきゃな」・・と思っているとします。
Bさんは子供がいるからスライドドアの車がいいかなと思っています。
すると、駐車場を歩きながら、やっぱりスライドドアの車が目に飛び込んできます。
でも、Bさんは目の前にいるコーチのバッグを持った人のことは、全く目に入っていません。
同じようにAさんもスライドドアの車が目の前にあっても、全く目に入ってこないのです。
自分の中にあるものが見える。
そして、ある意味、自分の中にあるものしか、見えないのかも知れません。
じゃあ、人の嫌いなところは自分自身の嫌いなところの投影なのでしょうか・・?
そういうことももしかしたらあるかも知れません。
例えば、せっかちなところが自分の欠点だと思っていると、せっかちな人を見た時に、自分の欠点を見せられているようで、何だかその人が嫌になったりします。
だけど、おっとりした方を見ても何も思わないかも知れません。むしろ、大らかな性格で素敵だなぁと思ったりして。
そういう意味で、人は、自分の中にある「自分が思っている自分の欠点」を持った人を嫌いになってしまうのかも知れません。
自分の欠点を認めてしまえば、相手の嫌なところも消える
もし、人の嫌なところが、自分の中にある自分が思っている欠点だとしたら、自分の欠点を「まぁ、いいか」と思えた時、その相手の嫌なところも消えることになります。
自分にあるものが見えているのだとしたら、それがなくなった時に、その相手の嫌なところは見えなくなるはず。そして、相手のことを嫌われなくて済むはず、です。
もっとも、自分が自分で思う自分の欠点というのは捨てることはなかなかできないものだったりしますが・・
ただ、そういう欠点を捨てるとまではいかなくても、欠点があってもいいかなと思えた時、つまり、少しだけ、自分のその欠点を許してみた時・・・不思議と相手に見えていたモノも見えなくなったりします。
人を嫌いになる理由と「裏の投影」
先ほどの投影には、「裏の投影」のようなものもあるようです。
どういうことかと言うと、自分に対して抑圧しているものを相手が持っていた時(相手がそれを抑圧していなかった時、またはそう感じた時)、その相手を嫌だなと思ってしまう・・・というある種の心理です。
例えば、あまり自分が目立つのはよくないと思っていると、目立つ人や、またはでしゃばっている(ように見える)人が嫌だなと、思ってしまう。
先程の投影の反対のようなもので、自分に対して持ってはいけないと抑圧しているものを相手が持っていた時、その相手が嫌いになったりします。
もしそうだったなら、その嫌な人の嫌なところ・・というのは、自分が自分に対してどこかで強く抑圧している(又は禁止している)ものに気づかせてくれるかも知れません。
そして、その抑圧しているものの中に、自分にとって必要な何かが隠れているということもあるようです。
抑圧が教えてくれること
例えば、子供の頃に自分をおさえつけられて育って、(怒られないために)自分を出さないようにしてきた人は、大人になってからも、同じように自分を抑圧してしまうことがあるかも知れません。
だけど、本当は、もっと自分を(親に)見てもらいたかったのかも知れない。本当はもっと自分らしくいることを認めてもらいたかったのかも知れない。
この場合、自分に必要なのは、失った自分らしさなのかも知れませんし、自分のままでいいと受け入れてくれる人(愛情)なのかも知れませんし・・
または、抑圧するということは自分で自分をおさえつけているわけですから、場合によっては、自分も自分自身に対して似たようなことをしていることになるかも知れません。
そんな自分に必要なのは、強いところも弱いところも含めた、自分に対する肯定感なのかも知れませんし、またはもっと他に何か、今の自分に必要なものがあるのかも知れません。
いずれにしても、自分に対して抑圧しているものの中に、本当は自分にとって必要なものが隠れていることもあるようです。
もっとも、人の嫌いなところというのは、ここまで書かせていただいたような、投影や、投影の裏にあるもの、だけではないわけですが・・ただ、嫌いな人は、時に自分に何かを教えてくれる人でもあるのかも知れませんね。
すぐ人を嫌いになる理由と「自己防衛」
「すぐに人を嫌いになってしまいます。どうすれば、そうならずにすみますか?」
そんな風に聞いていただいたことがありますが、すぐに人を嫌いになってしまうのは、自分を守ろうとし過ぎているから・・という場合もあります。
嫌いという感情は、ある意味、攻撃のようなものですが、人は自分や自分の何かを守るために攻撃する(人を嫌う)・・ということがあります。
その何かとは、例えば、自分のプライドであったり、自分のアイデンティティ(自分らしさ、自分に自分らしさを与えているもの)であったり、自己重要感であったり、自分の存在そのものであったり。
だから、こういったものを守るために、こういったものを自分から奪う人を攻撃する(嫌う)のかも、知れません。
つまり、嫌うことで、自分の何かを守っているわけです。
だから、人は自分の気持ちを無視する人は嫌いですし、自分を否定する人も嫌いだし、自分を粗末に扱う人も嫌い・・・なのだと思います。
もっとも、それはあくまでも主観的に自分がそう感じているということであって、相手にそのつもりがあるとは限らないわけですが・・
例えば、何かを押し付けてくる人は、押し付けられた人からすれば、自分の気持ちを無視されたと感じるわけですが、押し付けてきた側は、相手のために・・と思っているのかも知れません。(実際には相手のためにはなっていなくても)
人をすぐ嫌いになる自分を変えるために何をすればいい?
さて、この場合、すぐ人を嫌いになってしまう理由が「自己防衛」だった場合はどうすればいいでしょうか。
自分を守ろう、守ろうとするほど、傷つきやすくなってしまうことがあります。
そして、自分を傷つける人を嫌う必要が出てきたりする。
だけど、ガードを下せば、下すほどに・・・反対に傷つきにくい自分になれたりすることがあります。
自分の中に、守るべき自分がいると、人は傷つきやすくなってしまうのかも知れませんし、自分を守る必要が出てきてしまいます。
だから、もし、自己防衛をし過ぎていることが人をすぐに嫌いになってしまう原因だと思った場合は、まず、自分は自分の何を守ろうとしているのだろう?と自分に問いかけてみてもいいかも知れません。
そう自分に問いかけてみることで思わぬヒントが浮かんでくることがあります。
また、自己重要感が不足していると、自分を過剰に守りたくなることがあります。
自己重要感とは、自分は重要な存在なんだと思う心のことですが、自己重要感は生きてゆく上ではなくてはならないものです。
ただ、この自己重要感が不足した状態は、自分の価値や自分の存在価値を感じられていない状態で、その状態だと、自分を必要以上に守りたくなることがあります。
反対に自己重要感が十分にある状態だと、自分を守る必要がなくなることがあります。
自己重要感に関しては、自己重要感という悩みの根源。自己重要感を高める2つの方法にて詳しくご紹介していますので、よかったらそちらをご覧ください。
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