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自分には価値がないと思ってしまった時に考えてみたいこと

自分には価値がない。

そんな風に思ってしまうこともあるかも知れません。

自分には価値がないという思いは、誰かから自分を否定されて感じることもあるかも知れませんし、他人と自分を比較して感じてしまうこともあるかも知れません。

または、こんな自分でいなければならないという自分の中にある、ある種の思い込みが自分を追い詰めてしまった結果、そう感じることもあるかも。

また、自分には価値がないと感じている人の中には、過去に自分が一生懸命頑張ったことを自分の大切な誰かに認めてもらえなかった、または否定されてしまった・・という経験がある人も多いようです。

今回はそういったことも含めて、自分には価値がないと思ってしまった時に考えてみたいことについて見てゆきたいと思います。

目次

自分を否定する人に囲まれて生きると自分の価値を見失う

冒頭で、自分には価値がないと感じている人の中には、過去に自分が一生懸命頑張ったことを自分の大切な誰かに認めてもらえなかった、または否定されてしまった・・という経験がある人も多いと書かせていただきました。

自分の大切な誰かというのは、多くの場合は親なのですが、子供の頃、もしくは大人になってからもそうですが、親に否定された経験が「自分には価値がない」という思いの根本的な原因になっていることがよくあります。

例えば、自分の悪いところばかり指摘されて、良いところは見てもらえなかったりすると、自分自身でも自分の良いところではなく、悪いところばかりが気になってしまう・・ということもあります。

子供は、親が自分に接してきたように、自分自身に対しても接しよう(向き合おう)とするところがあって、だから、否定されて育った子供は、自分自身をよく否定していたりします。

そして、自分を否定する癖を持ったまま大人になってしまうこともあるわけですが、自己否定を続けていると、自分に対する価値感(自己価値感)はどんどん下がってゆきます。

また、自分を否定していると、不思議なことに自分のことを否定する人が集まってきたりします。

「自分に対してしていることが、人からしてもらえること」

そんな言葉がありますが、自分を否定していると、何故か否定されることが多くなったりします。するとさらに、自己価値感が下がってしまったりする。

こんな時はまず、自己否定をやめる必要があります。

ただ、自分を否定することが癖になっていると、自分を否定するのはよくない、やめようと思ってもなかなかうまくいかなかったりします。

じゃあ、どうしたらいいのかというと、1つの考え方としては、自己否定そのものをやめようと思うより、自分を少し肯定してみようと思って実践してみるのもよい方法だと思います。

自己否定をやめることも、自分を肯定しようとすることも、言ってしまえば同じようなことではあるのですが、人はどうも何かをやめよう、避けようとするよりも、何かに向かっていくことの方が得意なようです

だから、自己否定をやめよう・・よりは、自分を少し肯定してみよう・・の方がうまくいくことが多い。

だけど、どうやって自分を肯定していいかわからない・・という人もいるかも知れません。

「自分を肯定する」がうまくできない場合ですが、「自分を少し許してみる」のもいいかも知れません。

例えば、何かのきっかけで、「自分には価値なんてない」と思ってしまっても、「今はそう思ってもいい。」「今はこの自分でいい。」「ここからはじめたらいい。」そんな風に今の自分を少し自分を許してみる。

そうやって、自分を許してみるということは、結果的には自分を肯定することになります。

肯定してもらえることはすごく嬉しいことで、肯定されることで自己価値が高まることもありますが、それは自分でやってあげても同じような効果があるようです。

もう1つ考えたいことがあって、それは何かというと、自分を否定する人から離れてみるということ。自分を否定する人から離れて、自分を肯定してくれる人とだけ付き合うようにするということです。

自分を肯定してゆくと、自分を否定する人達の一部は自然と離れてゆきます。ただ、それだけでは不十分で、自分を否定する人達と一緒にいると、また自分を否定したくなります。

だから、自分を否定する人からは離れてみるのです。できる範囲で、自分を肯定してくれる人とだけ付き合うようにしてゆくと、自分の本当の「価値」が見えてくると思います。

自分を否定する人達に囲まれている時、努力は報われないように感じたりします。

だけど、自分を肯定してくれる人達に囲まれた時、その努力はむしろ大切なものだったと思えたりします。

どんな人達の間で生きるか、というのはとても大事なことだと思います。

他人の価値観で生きるのをやめる

人に認めてもらうと嬉しい気持ちになったりします。

だけど、その相手の評価が自分の価値を決めると思っていると、褒められたり、認められた時は自信が持てるけど、認められなかった時に自信を簡単に失ってしまったりします。

これだと安定した自信のようなものは持てませんし、認めてもらえないことが続くと、自分には価値がないと、そう思ってしまうかも知れません。

「人からの評価が自分の価値を決める」という思いの一番の問題点は、他人の評価が曖昧であるという点です。

あることに対して高く評価する人がいる一方で、評価しない人も必ずいます。

例えば、同じ映画を観ても、よかったと評価する人がいる一方で、面白くなかったと言う人もいます。

人の評価というのは必ず割れるようです。

人の評価はまた、時間と共に変わったりします。

生前は全く評価されなかったのに、死後になって高く評価されるようになる人もいます。

そんな風にして、割れやすく、移ろうことのある他人の評価で自分自身の価値を判断しようとしていると、自分を見失いやすくなります。

じゃあ、何を基準に自分を判断したらいいか?といったら、それは「自分自身がどう思うか」ということだと思うんです。

人にいいと言ってもらえる自分ではなくて、自分自身でこんな自分ならいいかなと思える自分を目指すというか。

もっとも、例えば、仕事・商売など、人からの評価が大事になってくる場面もあります。

だけど、本当の自分の人としての価値を決められるのは、自分自身だけなのだと思います。

~ねばならないを手放す

自分の中に「~ねばならない」という価値観が多い人は、自分を責めて苦しんでしまうことも多いかも知れません。

自分には価値がないと考える人もまた、同じように「~ねばならない」という価値観を持っているのかも知れません。

例えば、「学歴がなければならない」という思い込みを持っていると、それがない自分が許せなくなり、自分には価値がないと思ってしまうかも知れない。

例えば、「~歳までに結婚していなければならない」という思い込みを持っていると、その年齢で結婚できていない自分が情けなく思えてくるかも知れない。

ただ、こういった「~ねばならない」という考えは何らかの形で手にしてしまった「思い込み」であることが多いものです。

何故、「~ねばならない」という考えが思い込みなのかというと、物事の真実というのは、どちらか一方にあるとは限らないから、です。

例えば、学歴。ビジネスで大成功して、高額納税者番付に何度も顔を出している斉藤一人さんは中卒です。

学歴がなければならない・・ということが真実であれば、斉藤一人さんのような人はいないわけです。

結婚に関しても、若くして結婚しても、その後の結婚生活で苦労する人もいれば、結婚の年齢は人よりもずっと遅くても、その後に幸せな結婚生活を手に入れる人もいます。

思い込みとはどちらか一方に偏った考え方のことですが、こういった思い込みを捨てることができると、その分だけ生きることが楽になったりします。

物事の真実、もしくは、何が正しいかということは1つだけじゃないと思うんですね。

自分には価値がないと思わせている理由を探ってみて、その理由に「~ねばならない」という思いが関係していたら、それは思い込みで真実ではないかも知れません。

自分の価値を認めてくれる場所がある

世の中にはどうも、自分の価値を認めてもらえる場所と、自分の価値を認めてもらえない場所があるようです。

自分は必要とされていないと感じる場所がもしあるとすれば、それは、自分が必要とされる場所はそこではなくて、他にあるということだと思います。

自分には価値がないと思ってしまっている時はもしかしたら、自分の価値を認めてもらえない場所にいるのかも知れません。

それは自分に価値がないからではなくて、ただ、いる場所を間違えているだけなのかも。

人は自分の価値を認めてもらえる場所にいる時、不思議な力が湧いてきて、才能を開花させたり、魅力を増したりします。

もっとも、自分を磨くことも大事なことだと思います。だけど、それと同時にどこで自分を磨くかということも大事なことのように思います。

自分の価値を認めてくれる場所は、必ずあると思います。

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