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思い出し怒りを鎮める方法。原因や対処方法も

もう何年も経っているのに・・・時々思い出してしまっては、怒りを感じてしまう。そんなこともあるかも知れません。

思い出し怒り・・というのは本当に厄介なものだと思います。

以前に、過去の怒りを捨てるためにできることについて書かせていただきました。

過去の怒りを上手に捨てる4つの方法

今回は、思い出し怒りを鎮めるためにできることの他に、根本的な部分と言うか、何故、わざわざ思い出しては怒りを感じてしまうのか・・・?ということについても、違った角度から考えてみたいと思います。

目次

1)人は怒ることを「選択」している

怒りというのは、理由があって感じている感情なのだと思うんです。

そして、それはある意味、自分で選択しているもの・・なのかも知れません。

例えば、ホテルのフロントでひどい対応をされた時に、怒りが湧いてきたとします。瞬間的なものなので、怒りは「勝手に」湧いてきたと思ってしまいます。

でも、実は、この「ひどい対応をされた」、「怒りが湧いてきた」の間にはほんのわずかですが、隙間があります。

何故なら、もし、「ひどい対応をされた」イコール「怒りが湧いてきた」であれば、誰もがこのようなケースでは怒ることになります。

でも、そうではない人もいます。

怒りというのは実は行動するために一番効率的なエネルギーを生み出してくれるものだと思います。

この場合、例えば、そのホテルに苦情を言う場合でも、苦情を言うのにはそれなりのエネルギーがいります。

人に文句を言うのって案外大変なものです。反論されるかも知れません。反撃されるかも知れません。

だから、そうならないように相手よりも大きなエネルギーが必要で、それを生み出すのが怒り、なのかも知れません。

だから、このケースでは、もしかしたら、苦情を言うために、怒ることを選択している・・のかも知れません。

思い出し怒りについても、勝手に、自動的に湧き上がるものだと思うと、もう自分にはどうにもできないことになってしまいますが・・

何か理由があって、無意識のうちに「選択している」または、「選択してしまっている」のであれば、完璧にコントロールする・・とまではいかなくても、何か自分にもできることがあるかも、知れません。

2)怒りは自分を守るために自分で選択しているもの

怒りというのは色々な理由で自分で選択しているものなのかも知れません。

その中でも僕がよく思うのは、「自分を守るため」という理由です。

つまり、怒りは自分を守るために、自ら選択して感じているものということです。

何かから、誰かから自分を守ろう、守ろうとしている時に感じているイライラはなかなか止めることができません。

その守ろうとしているものは自分自身であったり、自分のプライドであったり、自分の傷ついた心であったり、何かに怯える自分だったりするのかも・・・知れません。

その守ろうとするものは、「こういう自分でありたい」という自分に対するセルフイメージだったりすることもあります。

その守ろうとするものは、時に、自分の心の中に抑圧している感情だったりもします。

その嫌な感情が意識の中に上がってこないようにするために、あえて、もう終わったこと、もう過去のことなのに、思い出して怒りを覚える・・・そんなこともあります。

もし守ろうとするものが抑圧している感情だった場合、思い出し怒りの対象となっているものは、実は本当はどうでもいいこと、考えてみれば、小さなことであり、なんでこんなことをわざわざ思い出してイライラしているんだろう・・・と思うことがあったりします。

それは、本当に守りたいもの、考えたくない抑圧した感情があって、それをカモフラージュするために感じている怒りだから・・かも知れません。

3)何の目的があって、怒りを選択しているのか?

過去のことを思い出して、イライラがとまらない時、いつも同じような思い出し怒りに苦しんだ時に、こんな言葉を自分にかけてみます。

・自分は何を守ろうとしているのか?
・何の目的があって、怒りを選択しているのか?

・・・そんな風に自分に向かって問いかけます。

脳は問いかけにはすぐに反応してくれるので、何かしら、答えであったり、そんなものが見えてくることがあります。

それだけで思い出し怒りから解放されることもあります。

自分が守ろうとしているものがわかる、それだけで怒りは薄れてゆくものだと思います。

そして、その守ろうとしている自分や自分の何か・・・を見つけて、守ろうとすることをやめてしまうことができたら、本当の意味で思い出し怒りからは解放されるのではないかなと思うんです。

でも、それはなかなか大変なことだったりして、どうしても捨てられない思いのようなものもあると思うのです。

だけど、少しでも守ろうとする自分に気づいたり、ちょっとでもいいので、守ろうとすることをやめてしまうと、自分が楽になれるのではないかなと・・・僕はそう思っています。

4)人は物事を正確には記憶しない

さて、ここまでは思い出し怒りの原因についてやその怒りの捨て方について書かせていただきました。

ここからは少し、対処法と言いますか、思い出し怒りが湧いてきた時にどうやって冷静さを取り戻したらいいか?ということについて見てゆきたいと思います。

何かを思い出して、嫌な気分になったり、怒りが湧いてきてしまって自分がコントロールできなくなったり・・そんなこともあるかも知れません。

色々なケースがあるかと思いますが、今回は、その場では「ははは」と笑ってスルーできたのに、後になって、何だか嫌な気分になってしまったり、そのことを思い出して怒りの感情が湧いてきてしまった時にどうしたらいいか?ということについて考えてみたいと思います。

 ***

その場では笑ってやり過ごせたのに、後になって何だかとても嫌な気持ちになったり、落ち込んでしまったり・・そんなこともあるかも知れません。

思い出して嫌な気分になったり、落ち込んでしまう・・・そんな自分が嫌だなと思って、何とかしようと思った時は、その感情そのものを何とかしようとしてしまいがちです。

ただ、感情は以前にも書かせていただいたことがありましたが、飛行機が通った後の飛行機雲のようなもので、それそのものを何とかしようとしても、なかなかうまくいきません。

自分を苦しめる考え方を変える方法、感情は思考の後についてくる

その感情をどうにかするには、何を思ったか、どう捉えたか・・・という部分を変えなくてはいません。その後に続くのが感情だからです。

・・・とここまでは以前にも書かせていただいたことなのですが、思い出し怒りの場合は、ちょっと特殊なケースだと思うのです。

普通は

1)何かが起こる
2)それに対して、自分が何かを思う(捉える)
3)感情が湧いてくる

・・・こんな順番です。

思い出し怒りの場合は、

1)何かが起こる
2)時間が空く
2)起こったことを後で思い出して、それに対して自分が何かを思う(捉える)
3)感情が湧いてくる

・・・という順番です。違うのは、時間が空いていることです。

時間が空いた後に、その自分に起こった出来事を思い出して、それに対して、何かしらの感情が湧いてきます。

ただ一つ、問題があります。

それは、その自分に起こった出来事を思い出す時、自分の記憶に頼らなければならないことです。

それの何が問題なのか・・・というと、人は起こった出来事を正確に記憶したりはしないから、です。

正確に記憶することも勿論あります。ただ、多くの場合、自分というメガネを通して、その出来事を記憶しています。

例えば、友人達とパーティーをしたとします。

ただ、そのパーティーで起こったことを全員が全員、同じように記憶しているかといったらそうではないと思うんです。

そのパーティーのことは恐らく、それぞれが自分というメガネを通して、「記憶したいように」記憶しているはずです。

さて、その自分というメガネにはいくつかの特徴があって、その一つは、これからの自分を守るために必要な情報は他の情報よりも強調しようとする・・・ということになります。

嫌なことはいつまでも覚えているけど、よかったことはすぐに忘れてしまう・・・なんてことがあるかも、知れません。

それはそのメガネのせいかも、知れません。

5)記憶は強調されて、デフォルメされている

自分のメガネの話の続きですが・・・

将来の自分を守るためには、あまり楽観的にばかり考えていない方がいいことも多くあります。

嫌なことを強調してでも、覚えておいた方がよいこともあるかも知れません。

ここでちょっと大昔の話をしたいと思います・・

外に出て、散歩をしていました。すると、道端に綺麗な花が咲いていました。その花を眺めていたら、気持ちが明るくなりました。

ルンルン気分のまま、その先に歩いてゆくと、自分の目の前に猛獣が現れました。ビックリして、一目散に逃げます。

命からがら逃げ帰ってきて、「あ~あの花は綺麗だったなぁ♪」なんて思っていたら、明日、命はないかも・・知れません。

猛獣が現れて死にそうになったことの方を(花のことよりも)より強く(強調して)覚えているからこそ・・・(次はその場所に近づかないことで)命を守れるようになります。

 ***

何か言いたいかというと・・・

記憶は強調されて、また、時にデフォルメされているということなんです。

デフォルメとは、誇張したり、ゆがめたりする意味もありますが、先程の猛獣の話も、実際には体長2メートルの猛獣だったとしても、後々思い出した時には、「4メートル位あったかも・・・(汗)」、なんてことになっているかも、知れません。

記憶は特に嫌な記憶に関しては、自分を守るために、時に強調され、デフォルメされるから・・です。

さて、感情というのは、こういう順番で湧き上がるものでした。

1)何かが起こる
2)それに対して、自分が何かを思う(捉える)
3)感情が湧いてくる

その場では笑ってやり過ごせたのに、後になって何だかとても嫌な気持ちになったり、落ち込んでしまったりした時も、似たような順番なのですが、ただ、そもそも1)の起こったことそのものが「強調されていたり」「デフォルメされている」ことが多いので・・・

そのことを知っておくだけでも、思い出し怒りに振り回されなくなります。

(今回のケースでは)冷静に考えてみると・・その場では笑ってやり過ごすことができたわけです。

勿論、その場の雰囲気や空気もあったとしても・・・その場では笑ってやり過ごせた。

本当は、自分にとってそれほど、怒りを感じてまで考えないといけない問題ではないかも知れません。

そんな時は、その記憶が強調されているものであることを知った上で、その時の状況を感情で考えるのではなくて、理性を使って考えてみると、嫌な気持ちであったり、そういうものがす~っと消えてゆくことがあります。

例えば、その相手の人の言動を思い出して、悪意のようなものを感じても、「本当にそうだろうか?」と考えてみる・・・または、その時の自分の対応(笑ってスルーすることができた自分)を自分でしっかりと褒めてあげることもよい方法かも知れません。

嫌な気持ちになった時というのはそうやって、その嫌になったことそのものばかりではなくて、その横にあるものであったり、その裏にあるものに思いを馳せてみるといいのかも知れません。

記憶というものが(特に嫌な記憶というものが)、強調されて、デフォルメされているのだということを知ると、例えば、思い出して何とかしようとすることそのものがあまり意味のないように思えてくることがあります。

嫌な記憶というのは、自分を守ってゆくためには大事な記憶でもあると思うのでそのすべてを捨てる必要はないと思います。

ただ、嫌な記憶というのは、実際(真実)よりも強調されて、デフォルメされていることを知ることで・・

自分にとって本当に怒る必要があるものだったかどうか?と考えることができるかも知れませんし、そうすることで自分には必要のない記憶、そしてその記憶に対する執着というものを少しづつでも、手放せるかも知れません。

そうすることで、例えば、実はその場やその相手との間にあった、プラスの思い出というものがふっと、よみがえってくることもあります。