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バカにされることや見下されることを気にしない方法とは?

自分のことをバカにされたり、見下されたり、または嫌味を言われてしまったりして、とても嫌な気持ちになってしまう・・・そんなこともあるかも知れません。

そんな時、とても悔しい気持ちになってしまって、言い返してやりたいと思う人もいらっしゃるかも知れませんし、または、そういったことを気にしないようにしたいと思われる人もいらっしゃるかも知れません。

今回はそんな時にどうしたらいいか、どうやったらそんな、人をバカにしてくる人、人を見下してくる人を気にせずに済むのか・・ということについて、考えてみたいと思います。

目次

言い返してやりたいと思った時には

人のことを明らかに馬鹿にしてきたり、見下してくるような人に、言い返してやりたいと思われることもあるかも知れません。

そんな時は、バシっと言い返してやることも僕は一つの方法だと思います。

だけど、今回の記事のタイトルにあるように、そういったことを「気にしない」ようにしたいと思われる方はどちらかというと、争いを好まない方が多いのではないかなと、思います。

ただ、いずれにしても、「気にしない」という選択肢を選ぼうとすること、それは自分が大人になろうとする選択肢でもあると思いますし、それが一番の選択肢なのかも知れません。

しかし、それでも時にははっきりと相手に伝えなければならない時もあるかも、知れません。

ただ、そんな時でも相手を選んでみてもいいのかも知れません。

つまり、言い返すだけの価値のある相手かどうか・・ということです。

美輪明宏さんはご自身の著書の中でこんな風に語っていらっしゃいます。

「この世の中は、善意や愛情だけでできている、桃源郷のような場所ではないし、人間も善人ばかりでは決してない ~中略~ 世の中の人間の半分は悪の道へと進む魔界人で残りの半分が、この世で自分を高めるために修業を行う天界人です」(出典:地獄を極楽にする方法 p.105 美輪明宏著 主婦と生活社)

地獄を極楽にする方法 美輪明宏著

美輪さんはまた、この「魔界人」も完全に悪だけではなくて、悪から善に来る人もいれば、善と悪を行ったり来たりする人もいますと付け加えていらっしゃいます。

世の中には本当に色々な人がいて、何を言ってもわかってくれない人もいるかも、知れません。

また、美輪さんのお話ではないですが、人のことを悪く言って喜んでいるような人も中にはいるかも知れません。

人は大人になれば、それなりに言ってはいけないことやしてはいけないことはある程度は共通の認識として、理解しているものだと思います。

相手やまたは相手の家族や相手の大切な人のことをあからさまにバカにしたり、見下したり・・・というのは、これは言われた方の問題ではなくて、そういう言ってはいけないことを理解していない相手の問題だと思うのです。

そういうことを理解していない、可愛そうな人も中にはいるかも知れません。

そして、そういう人に言い返す意味があるかと考えてみて、言い返したって無駄だなと思えたら、言い返す価値なんてないなと、思ったら、それが一番の選択肢なのかも、知れません。

言い返すのも疲れますし、エネルギーを使います・・そのエネルギーを本来であればもっと、楽しいことに使えるわけですから・・わざわざ大切なエネルギーと時間を使って相手にするだけの人であるかどうか・・ということは見極める必要があると思うのです。

人を見下す人の心理とは?

それでも、見下されたこと、バカにされたことが悔しくて、頭から離れない・・・という時はどうしたらいいでしょうか・・?

そんな時は少し自分の視点を離れて、相手の視点になってみるのも一つの方法かも知れません。

つまり、何故、人をバカにするのか?何故、人を見下すのか?ということを相手の立場になって考えてみるのです。

人を見下す必要なんて、本当はないと思うのです。

本当は見下したり、バカにしたりする必要はない・・だけど、何かしらの理由で見下したくなってしまう、のかも知れません。

見下すということは、自分の方が上だと思いたいわけですが、そもそも自分の方が上だと思いたいということは、自分が誰かや何かに対して、下にいると思っているため・・・かも知れません。

言い方を変えると、何かコンプレックスや劣等感があったりすると、その劣等感を捨ててしまうために、誰かよりも上だと思いたくなることがあります。

もっとも、そのやり方では、そもそもの原因であるコンプレックスを捨てることはできないので・・常に誰かよりも自分が上だと思う何かが欲しくなります。

だから、人を見下す人に、それは悪いことだと伝えようとしても、なかなか、やめることはできないかも、知れません。

それは、見下したくて見下しているというよりも、そうしなければ、自分の中にあるコンプレックスで自分がみじめに思えてしまうからです。

そう考えると、見下された立場から考えると、自分がどうのこうの・・・というよりも、本当の問題は相手の中にあるのだと、そう思えてくるかも、知れません。

自分のことをバカにしたり、見下してくる人に同情する必要はないかも知れませんが、ただ、「そうしなければやってられないのかも知れないな」と、例えば、そんな風に思ってみると、少し自分の気持ちもおさまってくるのかなと、思います。

誰でもいいから見下すわけではない

それから、人を見下してくる人は、誰でもいいから見下そうとしているわけでは・・ないかも知れません。

例えば、自分に対して言ってくるようなことを、幼稚園児にも言うかというと、そうではないかも知れない。

つまり、(人を見下す人が)見下そうとしている相手は、変な言い方ですが、見下したくなる人であるというか。

何か自分の中にあるものを刺激してくる人だからこそ、バカにしようとしたり、見下そうとしてくることも、あるのかも知れません。

だからといって、見下されるのことは気持ちのいいものではないわけですが、ある意味、相手はこちらのことを認めているのかも知れません。

だから、バカにしたくなったり、見下したくなる。

バカにされたと思ったら、嫌な気持ちになりますが、認められたのだと思えば、少し、感じ方は変わってくるかも知れませんね。

小さな子供を相手に本気で悔しがる大人はいない

さて、ここまで色々と考えてきましたが、一番の方法、一番自分が楽な方法はやっぱり、冒頭でも書かせていただいた、自分が大人になることなのかなと、そう思うのです。

自分が大人になることで解決する問題は沢山あります。

それは難しいことだとは、思います。

すごく難しいことだと、思います。

悔しい気持ちはすぐにはなくなったりはしないですし、大人になるということそのものも難しい。

だけど、大人になってみようとするだけで、気持ちが少し楽になれることはあるのかなと、思うのです。

もし、それがどうしてもできない時は、相手は小さな子供なんだと思ってみてもいいのかも知れません。

大人であれば、誰もがある程度は理解していることをわかっていないのなら・・・子供なんだと、その相手は。

そう思ってみると楽になれることもあるかも知れません。

小さな子供を相手に本気で悔しがったりする大人はいないと思います。小さな子供の言うことに本気で腹を立てる大人もいないと思います。

だから、バカにされても、見下されても、(相手は子供なんだからと思って)「そうだね~」「そうかもね~」「そっかぁ、○○はすごいね~」とスルーしてみてもいいのかも知れません。

誰かに対して怒りが湧いてくる・・というのは、少なくとも、同じ目線に立っていないとできないことなのかも知れません。

逆を言えば、同じ目線に立たなければ、怒りは湧いてこないかも、知れません。

そのためには、自分が大人になってみるということが一番の方法なのかなと、思います。

それが一番の方法で、それが一番難しい方法かも、知れません。

だけど、それが自分を磨いてゆくということなのかも知れないな、と。

勿論、時と場合によっては、言いたいことを伝えるのもいいと思うんですね。自分をあからさまにバカにしてきたり、見下してくる人に対しては。

でも、それを理解してくれる人なのかどうか、それを伝えるだけの価値のある相手なのかどうかは判断する必要があるのかも知れません。

暗闇があるから、星が輝いて見える

先程の美輪さんのお話ではありませんが、世の中には、美輪さんのおっしゃる「魔界人」のような、悪の人ももしかしたらいるかも知れません。

そういう人達に自分の気持ちを傷つけられてしまったりすることがあれば、それはとても残念なことだと思うんですね。

ただ、そんなことがあった後に、自分の立場になってくれる優しい人に出会ったりすると、嬉しくなったりします。

もし、世の中の人が全員、そんな相手の立場になってくれる人ばかりだったら、相手の立場になることも、相手の立場になってくれる人も、当たり前に感じてしまうかも知れません。

だけど、実際はそうじゃない。

だから、そういう相手の気持ちになってくれる人は輝いて見えたりするのだと思うのです。

それはまるで、暗闇があるから星がキラキラと輝いて見えるようなものだなと、思います。

バカにしてくる人や人を見下してくる人は、その暗闇の役をボランティアで買って出てくれている人なのかも、知れません。

少なくともそう思ってみることで、気持ちが少し、楽になれることもあるんじゃないかなと、思います。