人を疑わない心、人を尊重する心を手に入れるには?
人を疑わない心、人を尊重する心を得るために何をすればいいか・・・
そんなことが戦国時代の武将、上杉謙信が残した家訓に書き記されていました。
昔の武家にはその家々に家訓というものが定められていたようですが、上杉謙信も家訓を残しています。
その家訓をパナソニックの創業者、松下幸之助さんが著書の中で紹介されていました。
上杉家の家訓
心に物なき時は心広く、体やすらかなり。
心に我慢(慢心のこと)なき時は愛敬失わず。
心に欲なき時は義理を行ふ。
心に私なき時は疑ふことなし。
心に驕(おご)りなき時は人を敬ふ。
心に誤りなき時は人を畏れず。
心に邪見なき時は人を育つる。
心に貪りなき時は人にへつらふことなし。
心に怒りなき時は言葉柔らかなり。
心に堪忍ある時は事を調(ととの)ふ。
心に曇りなき時は心静かなり。
心に勇ある時は悔やむことなし。
心賤(いや)しからざる時は願ひ好まず。
心に孝行ある時は忠節厚し。
心に自慢なき時は人の善を知る。
心に迷ひなき時は人をとがめず。出典:商売心得 p183-184 松下幸之助 PHP文庫
※上記の「心に驕(おご)りなき時は人を敬ふ」ですが、山形県米沢市にある上杉神社にある「上杉謙信公家訓十六ケ条」の石碑には「心に驕おごりなき時は人を教う」と記載されてあるようです
心に私なき時は疑ふことなし
私心、自分のことを思う気持ち・・・がなければ、誰かを疑ったりはしない。そんな意味になるでしょうか。
誰かを疑うなんていうと大袈裟に聞えてしまうかも知れませんが・・・例えば、不安になったりして、大切な誰かをいつものように待ち続けられないような時。
自分のことを考えると、又は、自分を守ろうとすると・・・誰かを信じて待ち続けることができない・・・だから、時には自分を捨てて、誰かを誰かの気持ちで待つことも大切なこと、そういうことなのかなと・・・思いました。
心に驕(おご)りなき時は人を敬ふ
自分の中に驕り、高ぶりがなければ、人を尊重し、認めることができる・・・そんな意味になるでしょうか。
人を尊重できない時は、自分のどこかに驕りや高ぶりがないか・・・そうやって自分を省みることをやめなければ、人を尊重する心のようなものは手に入るのかも・・・知れません。
上杉家の家訓はすべて、「自分の心」のことが書かれていますが、すべては自分の心が決めている・・・そう伝えようとされたのかなと、そんなことを思いました。