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人に気を使いすぎる性格を変えたい、気を使いすぎて疲れることが多い時は

人に気を使いすぎてしまう。

初対面の人に対して、自分でもやり過ぎだったかな・・と思うほど、気を使ってしまったり。

または、自分に近い人、友達や、または自分の彼氏彼女、または自分のパートナーであったり、そんな自分の近い人に対しても気を使いすぎたり、相手の顔色を気にしすぎてしまったり。

そんな風にして、人に対して気を使いすぎて疲れてしまうことが多い。

そんなこともあるかも知れません。

今回は、そんな時、人に気を使いすぎる自分を少し変えたいと思った時は、どんなことからはじめたらいいか?また、そもそも気を使いすぎてしまうようになった原因は何か?ということについても見てゆきたいと思います。

人に気を使えることは素晴らしいこと

人に気を使いすぎてしまう自分を変える・・というお話の前にこんなことを書くのは少し矛盾しているかも知れませんが、ただ、人に気を使えるということは、悪いことじゃなくて、素晴らしいことだと思います。

人に気を使える人は多くの場合、その場の雰囲気、空気を感じ取れる人ではないでしょうか。

何かを敏感に察知したり、感じ取る能力のある人と言いましょうか。

また、人に気を使えるということは、人間関係ではとても大事なことでもあると思います。

ただ、自分が疲れてしまうほど、気を使いすぎてしまうような場合や、気を使いすぎて、毎回、自分の気持ちを抑え込んでしまう(抑圧してしまう)、毎回自分を後回しにしてしまうようなことがあれば、その気を使いすぎている、過剰な部分だけは何とかできたらいいのかも知れません。

また、気を使い過ぎてしまう理由が、相手に嫌われたくないという思いから来ていたり、相手に好かれたい、いい人だと思われたいという思いから来ている場合などは、気を使いすぎた後に後悔してしまうことも多くなるかも、知れません。

その場合も、何とかその思い(嫌われたくないといった思い)を少し、手放すことができたらいいのかも知れません。

気を使いすぎてしまう性格の原因は?

自分は気を使いすぎてしまう性格だと自分でも思う方もいるかも知れません。

その気を使いすぎてしまう性格はどこで手に入れたものでしょうか?

性格というと、生まれ持ったものというイメージがありますが、心理学の世界では性格とは習慣が束になったものであると言われることがあります。

また、心理学者のアドラーは性格のことを「ライフスタイル」と呼びましたが、ライフスタイル(性格)は2歳の時にはすでに認められていて、遅くとも5歳になるまでには「選択」されていると言っています※。

※現代のアドラーの心理学では10歳前後には性格が選択されると考えることが多いようです

勿論、持って生まれたものもあると思うのです。

例えば、持って生まれた敏感な性格、何かをすぐに察知したり、感じ取るような性格(能力)が関係している場合もあります。

さて、気を使いすぎてしまう性格はどこで手に入れたか?というお話に戻りますが・・

気を使いすぎてしまう性格は、幼い頃、または子供の頃、親との関係の中で手に入れてしまうこともあるようです。

例えば、親御さん(お母さんなど)が当時、悩みを抱えていて、精神的にも不安定な状態で、あまり、甘えることができなかった(自分の気持ちを抑え込むしかなかった)。

また、不機嫌な時も多かったため(精神的に不安定だったために)、怒られたりしないように、常に母親の顔色を伺っていた。

そんなことが原因で、自分を後回しにするようになったり、自分の気持ちを抑圧したり、または、人の顔色を気にしたりするようになる・・・というケースもあるようです。

また、断れない性格の自分や人に頼めない性格の自分を少し変えるには?でも書かせていただきましたが、そういった子供の頃の親との関係が原因で、頼まれたことを断れない人になってしまったり、または、誰かに何かを頼むことができない人になってしまうケースもあります。

気を使いすぎる自分のまま、少しづつ気の使い方を変えてみる

例えば、原因が子供の頃にあるのだろうなとわかっても、それを変えてゆくのは大変なことかも知れません。

それはもう自分の中にずっと何年も何十年も持ち続けてきたものなので、すぐに捨てることはできませんし、それは(自分を抑圧したり、人の顔色を気にしてしまうのは)無意識でやっていることだと思うのです。

時間はかかりますがそれを少しづつ変えてゆく、捨ててゆく方法もあって、それについては少し後でご紹介したいと思います。

もう1つ、人に気を使いすぎてしまう自分を変えるためにできることがあって、それは、気を使いすぎる自分のまま、少しづつ、気の使い方を変えてみる・・ということです。

人に気を使えるということは、決して悪いことではなくて、素晴らしいことだと思います。

もっとも、気を使いすぎてしまうと・・自分が疲れてしまうわけですが。

ただ、ここで大事なことは、反対の自分になるというようなことではなく、つまり、全く気を使わないようにするということではなくて、バランスをとってゆく、または、自分にとって心地いいバランスを見つけてゆく・・ということなのかなと、思います。

気を使いすぎてしまえば、自分が疲れてしまうし、気を使わないのはそれはそれで問題なわけです。

それはシーソーのようなもので、今、自分は少し気を使いすぎてしまう側にいる・・と考えてみます。

それで疲れてしまったり、後悔したりしている自分に気づいたら、少し、相手から引いてみるというか、気を使うことを少しだけやめてみます。

それで、今度は反対に気を使えていないな・・と思ったら、今度は、少し相手に寄ってみるというか、気を使うことを少し増やしてみます。

意識して、引いてみたり、寄ってみたりしているうちに、自分が比較的心地いいと感じられるバランス、または、そのポイントが見えてきたりします。

例えば、いつもの自分なら、相手が初対面の人だったりすると、もっと気を使って色々な言葉を相手に掛けようとしただろうけど、今回は思い切って、それをやめてみた。

つまり、少し引いてみたわけですが、その直後は、「あぁ、もっとこう言ってあげたらよかったかな・・」なんて思っても、少しすると、「言い過ぎたかな、気を使いすぎたかな・・」という思いが湧いてこなかったりして、「あぁ、あれが自分の心地いいポイントなんだ・・」と思えることもあるかも知れません。

恐らく、バランスをとろうとして、いつもとは違うことをした時は、違和感があったりすると思うのですが、その違和感で判断するのではなく、その少し後の自分の気持ちで判断してみるというか。

そうやって、押したり、引いたりしながら、バランスをとって、それで自分が後悔したり、疲れたりしないポイントがわかると、また次回もバランスをとろう、または、そのポイント以上に気を使うことはやめよう・・・と自然と思えてくることがあると思います。

気を使いすぎてしまう理由が「嫌われたくない」「好かれたい」の場合は?

冒頭でも書かせていただきましたが、もし、気を使い過ぎてしまう理由が、相手に嫌われたくないという思いから来ていたり、相手に好かれたい、いい人だと思われたいという思いから来ている場合などは、気を使いすぎた後に後悔してしまうことも多くなるかも、知れません。

また、その場合も、気を使った後に疲れてしまったり、または、どこか虚しくなってしまうこともあるかも知れません。

嫌われたくないから気を使いすぎてしまう。
好かれたいから気を使いすぎてしまう。

・・・というのも、実は、子供の頃の親との関係が原因になっていることも多いかも知れません。

先ほどのケースのように、親御さんが当時何か精神的に不安定だったり、または、(何らかの理由で)感情をうまくコントロールできない人だった場合は、子供はそんな親に怒られないため、または、褒めてもらえるために、親に対して気を使いはじめるようになることもあるかも知れません。

それがいつの間にか、自分の性格の一部になり、そして、嫌われたくないという恐れや不安のようなものから、人に気を使うようになってしまうこともあるかも知れません。

好かれたいというのもそうですし、また、好かれたいという思いは、認められたいという気持ちからやってきていることもあるかも知れません。

この認められたいというある種の承認欲求も、子供の頃に親に認めてもらえなかった、褒めてもらえなかったことから来ていることもあるようです。

この場合は、誰かに自分を認めてもらうことで、その気持ち、好かれたいという思いを手放せるようになることもあります。

例えば、何か自分がやったことが何かのきっかけで人から感謝されるようになったことで、承認欲求が手放せた・・という人もいます。

そういう意味では、人に感謝されること、言い換えると、人に喜ばれることをしてみるというのも、この承認欲求の一つの手放し方かも知れません。

また、先日の記事でも書かせていただいた、自分軸で生きようとしてみる、自分の評価は自分で下す生き方にシフトしてみるのも、この好かれたい、承認欲求を手放す方法でもあると思います。

それについては下記の記事にてご紹介していますので、よかったらそちらをご覧ください。(記事内でご紹介したページへのリンクはこのページ下部の関連ページの覧にまとめておきます)

いい人だと思われたい、いい人に見られたい気持ちを捨てる方法
自分軸とは?自分軸と他人軸の違い、自分軸で生きる方法

気を使いすぎて、後悔したら?

「あぁ、気を使いすぎて余計なことを言ってしまったな・・」

・・なんて後悔することもあるかも知れません。

ただ、人にも色々なタイプの人がいますが、多くの場合、気を使ってもらいすぎて嫌な気分になる人は少ないと思います。

気を使ってもらえなくて嫌な思いをする人の方が圧倒的に多いのではないかなと、思います。

気を使いすぎてしまう人は、本人が思っている以上に、人からは良く評価されていることが多いのではないかな、と。

もっとも、繰り返しになりますが、気を使いすぎて毎回疲れてしまっては問題なわけですが・・

ただ、使いすぎる・・というところまで気を使える人は、少ないように思います。

それは、限られた人だけが持っている、優しさのひとつの形ではないでしょうか。

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