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自分は誰からも必要とされないという悩みから抜け出す

自分は誰からも必要とされていない・・・そう思った時はとても悲しい気持ちになったりします・・

人から必要とされること・・・それは喜びでもあるし、時には自分が生きてゆく力にもなって。

誰からも必要とされないのなら、なぜ自分はここにいるのだろうと・・・そう思ってしまうことも僕にはありました。

ただ、今はそんな風には思わなくなりました。

今回はそんな僕が考えてきたこと、誰からも必要とされないと思ってしまった時にできることや人から必要とされるということについて少し書いてみたいと思います。

自分のために生きることがすなわち必要とされることにつながる理由

他人に必要とされる自分を目指すと、自分を見失ってしまうことがあります。そして気づくと・・他人に依存している自分がいたりして・・

もしかしたら、他人からは結果的に必要とされるものであって、そうなろうと最初から目指すものではないのかも・・知れません。

人から必要とされるには、自分がまず自分の足で立っていなければならない、他人を笑顔にするには、まず自分が笑顔で毎日暮らす必要がある、他人を楽しませるには、自分がまず楽しんでいなければならないのだろうなと・・・ある時からそう思うようになりました。

だから、自分のために生きるべきだと。
まず、自分が楽しむことだと、思いました。

そしてそれが不思議と次へのつながってゆくように思うんです。

他人にとって必要な存在になる

必要とされたい・・・そう思っていた時の自分ってどんな自分だったのだろうと、そんなことを考えてみると・・

その時の自分は、孤独だったのかも知れない。本当は頼られたいというよりは、自分がそこに存在する、その必要性を実感させてくれる人が欲しかったのかも知れない・・・と。

これは言い換えてしまうと、誰かに依存しようとしていたのかも知れないな・・・と。

必要とされるということは頼られるとか、そういうことだと思うのですが、実際には、頼られたいというより、自分の心のどこかで頼りたいという気持ちがあったのかも知れません。

でも、必要とされる人になるには、恐らくその逆をやる必要があって。

つまり、頼りたいという自分の気持ちを捨てて、相手のことを考えてあげることであったり、自分よりも他人のことをまず考えてあげたり、他人を自分だと思って接したり、思いやりを持って付き合ったり・・・

そういうことだと思ったんです。必要なのは。

世の中で必要とされている人達は、何をやっているのだろう・・・そう思ってそんな人達がやっていることをあれこれ調べたり、そんな方々にお話を聞かせていただいたことがあります。

そこでわかったことがいくつかあって。その一つは、そんな方々は必要とされたいと思っていたというより、人を喜ばせたいと思っていた・・・ということでした。

必要とされたい・・・それは相手のことを考えているというよりも、自分のことを考えているということにもしなるとしたら・・

そう考えている以上は、なかなか必要とされる人にはなれないのかも知れないなと、思ったんです。

自分ではなくて、自分以外の人のことを自分のことのように考えられるようになった時、はじめて必要とされる人になれるのかも知れない、と。

そうなるためには、やっぱり、順番があって。

まずは、自分が楽しんで、笑顔で過ごす必要があるんじゃないなかと、そう思えてきたんです。

孤独は優しさに変えるためにある

僕は20代の頃、5年もの間、ほとんど一人きりで過ごした時期があります。

誰からも必要とされることもなく、それよりも、誰もまわりにいませんでした。本当に1人だったんです。

その5年間で孤独はこれでもかというほど、味わってきました。だから、孤独の辛さはよくわかっているつもりです。

でも、辛かったけど、それは僕にとっては必要な経験だったと今はそう思えるようになりました。その孤独があったから、それまではなかった優しさを少しだけ・・・手に入れることができたと、思っています。

孤独は優しさに変えるために、やってくるのかも知れない。寂しさや孤独は、今はそういう優しさを学ぶ時期だという時にやってくるのかも知れないなと。

辛いことの後には、必ず楽しいことがやってくるようになっているようで。ただ、そのきっかけを作るのはやっぱり自分で、自分が決めて一歩踏み出すことが重要なのだと、僕は今、そう思っています。