自意識過剰の治し方。人が気になる自分を変えるには?
道ですれ違った人達がくすくすと笑っていて「自分が笑われているのかも・・」と思ってしまった。
そんなこともあるかも知れません。
色々なことが自分のことだったのではないかと気になったり、または、人にどう思われたかが気になったり、人のちょっとした言葉や仕草が必要以上に気になったり。
いわゆる、自意識過剰になってしまっている状態ですが、そんな自意識過剰を治すにはどうしたらいいでしょうか?
今回はそのためにできることについて見てゆきたいと思います。
自意識過剰とは?
自意識過剰とは、「自分に意識を向けすぎてしまっている状態」のことを言います。
自分に意識を向けることは、ある意味、当たり前のことで、また、それは必要なことでもあります。
人にどう思われるか?と考えるからこそ、身だしなみを整えようと思えるわけで、それは社会生活を送ってゆく上では大切なことだと思います。
ただ、その気持ちが強くなり過ぎてしまうと、自然な自分を出せなくなってしまったり、周りの目が必要以上に気になることで、自分自身の未熟な部分であったり、欠点にばかり目を向けるようになってしまうことがあります。
自意識過剰は、男女ともに、青年期になりやすいと言われていて、男性も女性もそうなることがあるのですが、どちらかというと、男性よりも女性の方が自意識が強くなる傾向があると言われています。
どうやって治してゆけばいいか?
さて、そんな自意識過剰ですが、時に本人にとってはとても深い悩みに発展してしまうことがあります。
周りの目が必要以上に気になってしまうために、日常の生活や人間関係にも支障が出たりすることがあります。
では、どうやって自意識過剰を治せばいいのでしょうか。
自意識の強さというのは、実は年齢によっても変わってくるもので、年齢を重ねるにつれ、自意識の強さというものは自然と落ち着いてゆくことがわかっています。
ですので、時間がある程度は解決してくれる、いつかは自然と楽になってゆくと思ってみてもいいかも知れませんし、そんな風にして、少し気持ちを楽に持つことも、自意識過剰を治してゆく上では大切なことかなと、思います。
さて、自意識過剰を治す方法ですが、主観的にならないと自意識過剰にはなれません。
言い換えると、客観的になると(客観的に考えたり、客観的に自分や相手を見ようとすると)自意識過剰にはなれない・・ということになります。
ですので、客観的に自分や相手を見るようにしてゆく、客観的に物事を考える練習をしてゆくということが、自意識過剰のその過剰の部分を手放すためにはとても効果的な方法になります。
具体的にできることは何?
主観的ではなく、客観的に・・・ということですが、例えば、「相手にどう思われたかな?」は主観的に考えていることになります。
自分の視点で、相手のことを考えているわけです。
この場合、「自分が相手なら、どう思うかな?」と考えてみてもいいかも知れません。
自分が相手の視点になってみる。その上でもう一度自分を見てみるのです。
そうすると「自分が相手なら、どう思うかな?」と考えてみると、少し客観的に自分を見ることができます。
客観的になると自意識過剰にはなれないので・・そのように考えてみると、少し気持ちが楽になれるのではないかなと、思います。
この「相手にどう思われたかな?」を「自分が相手ならどう思うかな?」に変えるということを、日々の暮らしの中で、気づいた時に実践(練習)してゆきます。
これはスポーツの練習のようなものだと思います。
例えば、バスケットボールのシュートのようなもの。
最初はうまくシュートが打てなかったり、入らなかったりしても、練習を重ねてゆくうちに、少しづつシュートが思うように打てるようになったり、シュートが入るようになってゆきます。
それと一緒だと思います。
だから、最初はうまくできなくても、諦めずに練習を続けてゆくということが大事だと思います。
少し話を戻しますが、「相手にどう思われたかな?」と考えてしまうと、自意識過剰になったり、または、不安になってしまうことがあるかも知れません。
どう思われたかな?と思うと不安になるのには理由があります。
不安というのは、わからないことを思った時になるものでもあると思います。
人がどう思うか?
ということも実は、心理の専門家であってもわからないもので、また、人は色々なことを思うものです。
同じドラマを観ても、「面白かった」と思う人もいれば、「つまらなかった」と思う人もいます。
つまり、人は色々なことを思うもので、だから、どう思われたかな?と思っても、答えは出ません。
人は色々なことを思うものだからです。
だから、どう思われたかな?と考えても答えは出なくて、わからなくて、だからこそ、不安になる。
または、そう思うことが習慣になってしまっているために、自意識過剰になってしまうのかも、知れません。
そういう意味では自意識過剰も習慣の一種なのかも知れません。
一方で、「自分が相手ならどう思うかな?」だと、不安にならなくて済むことが多いと思います。
これは、自分が基準になっているためです。
自分がどう思うか?であれば、自分の中に答えがあります。
だから、不安にならずに済みます。
自意識過剰を治したいと思った時も、自分を基準にして、自分を軸にしてみてもいいかも知れません。
自分を軸にするとは、例えば、自分でいいと思える自分でいようとすることがそうです。
他人を軸にするとは、例えば、他人がいいと言ってくれる自分になろうとすることがそうです。
他人がいいと言ってくれる自分を目指すと・・・先ほどの理由と一緒で不安になったり、自意識過剰になってしまうことがあります。
そうではなくて、自分自身でそれでいいかなと、そう思える自分を目指してみると、不安にならずに済んだり、または自意識過剰の過剰の部分が薄れてゆくことがあります。
もっとも、自分で「最高!」と思える自分を目指す必要はないと思いますが、ただ、こんな自分ならいいかなと思える、穏やかに自分自身で肯定できる自分を目指してゆきます。
そんな風にして、自分を軸にすることで、又は、自分の中に自分自身を判断する軸を持つことで、いい意味で、人に左右されたりしない、ぶれない自分になれることがあります。
実際に練習してみよう
さて、ここで少し先ほど書かせていただいた、「自分が相手なら、どう思うかな?」ということを実際にやってみたい(練習してみたい)と思います。
①前から歩いてきた人達がくすくすと笑っていた時
どう思われたかな?
・・・自分の服装が変だったのかな。自分の歩き方が不自然だったかな・・。
自分が相手なら?
・・・友達の話が面白くて笑っていたのかな。
②仲の良い友人に食事に行かない?と誘ったら、忙しいからと断られた時
どう思われたかな?
・・・嫌いになったのかな・・。
自分が相手なら?
・・・仕事が忙しいのかもな。大変だな。
③友人と間違えて、全然違う人に、親しげに話しかけてしまった時
どう思われたかな?
・・・恥ずかしい人だと思われただろうな・・。
自分が相手なら?
・・・間違えちゃったんだねと思って、かえって謝ってきた相手を微笑ましいと思うかも。
実はみんなちょっと自意識過剰
例えば、道の真ん中で何かに足がひっかかって、派手に転んだりしたら、やっぱり恥ずかしいし、注目されているだろうな・・と思ってしまうものだと思います。
人はみんな、自分のことが気になるもので、自分がどう思われているかが気になるもので、それは実はみんながそうなのだと思います。
そういう意味では、人はみんな、ちょっと自意識過剰なところがあるように思います。
だけど、他人の視点になった時、例えば、道の真ん中で転んでいる人を見る立場だった場合は、「あっ、大丈夫かな・・」とは思っても、転んでいる本人が気にしているようなことは思わなかったりするかも知れませんし、必要以上に注目しているわけではなかったりするかも知れません。
そんなことに、つまり、自分も含めて人は、自分のことは気になるけど、自分以外の人のことはそれほど気にならないものだということを知って、自意識過剰の自分を克服した・・・そんな人もいます。
人のことが過剰に気になるという人は、自分だけが普通じゃないと思われていることが案外多いものですが、実は程度の差はあっても、みんな人のことが気になるものだと思います。
ただ、人のことが気になり過ぎて自分が苦しくなってきた時には、ほんの少しだけ視点を変えてみたり、ほんの少しだけ考え方を変えてみると、感じ方も大きく変わってくるのではないかなと思います。
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