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無駄なことをしている、無為な毎日を過ごしていると思ったら

自分がやっていることが無駄なことのように思えてくることがあったりします。

そんな時は、何か意味のようなものをその自分がやっていることの中に求めていたりして・・その意味が見出せなくなると立ち止まってしまったりします。

そうやって立ち止まって過ごす日々は、無為な毎日のように思えて、何だかむなしくなったり・・。

だけど、それは無為な毎日ではないのかも知れません。
それは無駄なことだったのではないのかも知れません。

「無駄はよくなる必然」

100歳を超えてなお、現役の美術家、篠田桃紅さんという方がいらっしゃいますが、篠田桃紅さんは著書の中でこんな言葉を残されています。

「私は後悔しないようにしています。無駄はよくなる必然だと思っています。」(出典:103歳になってわかったこと p.89 篠田桃紅 幻冬舎)

篠田桃紅さんは紙も時間も無駄にしていると・・・だけど、最初から完成形の絵なんて描けない。

だから、どの時間が無駄でどの時間が無駄ではなかったかはわけることができない、無為に過ごしていた時間が生きているのかも知れないと・・・そうお話されていました。

無駄だと思っていたことが、ある時、あるきっかけで・・・

僕自身は、無駄な時間が嫌いというか、怖かったというか。

そういう時間を沢山過ごしていた頃がありました。5年間ほど、全く誰も周りにいなくて一人だった時、自分は沢山のもの、時間とか楽しみとか・・・そういうものを失っているんだと思っていました。

だから、もう失いたくなくて、無駄に過ごすことが怖くなっていったのかも知れません。

だけど、それから長い年月が経って、ふと振り返ったら、その無駄だと思っていた頃、失っているばかりだと思っていた時間・・・そういうことがある時、あるきっかけで形になって、今の自分を支えていることに気づきました。

あるきっかけ・・・というのは、とても簡単なことで。

それは何だったかと言うと・・・そういう経験を自分のために生かそうと決めたから・・・でした。

それまでは、その経験は自分が背負っている影のようなもので。無駄が生きるどころか、その無為に過ごしていた日々に追われているような・・・そんな怖さがありました。

また失うのではないか・・・という怖さでしょうか。

だけど、どうせ過去は変えられないのだとしたら、その解釈だけでも変えてやろうと。

うまくいかなかったことを生かしてみよう・・・簡単なことかも知れませんが、自分の中では大きな発想の転換でした。

そんなことで・・・この頃は無駄な時間が以前ほど怖くはなくなりました。無為に過ごすことを無駄だとは思わなくなった・・・と言いましょうか。

あえて、そういう時間を作ろうと考えたりもします。

そしてそういう時間を自分で生かしてみようと思った時に、何か違うものが見えたりして、面白いなぁと・・・そう思っています。