親が年を取った、年老いたと感じて悲しいと感じたり、不安になったら
ある方から、「最近、両親が年を取ったと感じて、あのどの位一緒にいられるのだろうと考えると悲しくなります。」というお話をしていただきました。
こんな時はどんな考え方をすればいいのでしょうか、と。
今回はこの場をお借りして、親が年をとったと感じたり、年老いたと感じて、何だか悲しくなった時に何をどう考えたらいいか?ということについて少し考えてみたいと思います。
1)どこに気持ちを向けるのか?
親が年をとったなと感じたり、年老いたなと感じて何だか悲しくなる。
それはある程度の年齢になると、多くの方が感じることなのかも知れません。
両親の老いというのは多くの方が直面してゆく問題なのだと思います。
両親の老いとどう向き合ってゆけばいいのか・・ということに、明確な答えはないのかも、知れません。
人生にはそういう答えがないものが沢山あるのかもしれません。
僕自身も、冒頭の方が話してくださったことに対する明確な答えはなくて。
ただ、「あとどれ位、親と一緒に居られるのだろう・・」と考えて悲しくなるというのは、きっと失ってしまうことを考えていることになるのかなと、思います。
人は恐らく、失ってしまうことを考えた時に悲しくなったり、不安になったり、怖くなったりするものだと思います。
ということは、失ってしまうことではなくて、他のことに気持ちを向けてみると、また感じ方も変わってくるかも、知れません。
例えば、「今」、ですとか。
今に気持ちを向けて、今、親との時間を充実させてみようと思うと、少し、将来失ってしまうのではないかという不安や悲しみは、薄れてゆくかも知れません。
もっとも、そういった不安や悲しさは消してしまうことはできないと思うんです。どうしたってそれはあるものだと思います。
ただ、その気持ちで自分が一杯になってしまうと、「今」という大切な時間に気持ちが向かなくなってしまうことがあります。
将来のことはわからないことが多かったり、今どうにかしようと思ってもどうにもできないことが多いもので、何かできることがあるとすればそれはやっぱり、「今」にあると思うんです。
そして、そうやって今に気持ちを向けることを続けてゆくと、不思議と将来の不安や怖さ、悲しみなども・・少しづつ薄れてゆくことがあるようです。
2)自分がコントロールできないことを考えると不安になる
先程、将来のことはわからないことが多い、どうにかしようと思ってもどうにもできないことが多い、と書かせていただきました。
そういった、自分では「わからないもの」「どうにもできないもの」を考えるほどに、人は不安になったり、または、怖くなったりするものかも知れません。
親が年をとったこと、年老いたことで、これからどうなるのだろう?もう残された時間は少ないのかも・・と考えると不安になるのは、自分にはどうにもコントロールできないことだから、だと思うのです。
そんな時は自分がコントロールできることと、できないことをわけて考えた方がいいのかも知れません。
そして、自分がコントロールできないことではなくて、自分にコントロールできること、自分さえその気になればできることの方に気持ちを向けてゆきます。
そうやって考えてみると、親を失ってしまうことよりも、今、自分が親のためにできることであったり、今、自分が親とできることであったり、そういったことに気持ちが向くかも、知れません。
まだやり残した親孝行があると、思えたり。
そうやって、自分ではどうにもできないことを思うより、自分にできることを考えてゆくと、不安というものも少しづつコントロールできるようになるかと思います。
もっとも、親を失ってしまう不安や怖さは全てなくなったりはしないものだと思います。
それは多くの方が持ち続けてゆくものだと思うのです。
だけど、そういう不安や怖さがあったとしても、それでも今、自分にできることがあるのかも知れません。
3)感謝すると不安が薄れてゆく
失ってしまったらどうしようという不安であったり、悲しい気持ちであったり・・そんなものにつける薬があるとしたら、それは感謝すること、だと思うんです。
大切な人との別れというのは、考えれば考えるほどに、悲しくなってゆくものだと思います。
だけど、そうやって悲しくなってしまうほどに、今に気持ちが向かなくなってゆく。
そんな時は、先ほどのように「今」に気持ちを戻して、今を充実させようとすること、だと思うんです。
そして、同時に、その「今」があることであったり、今、両親との時間が持てていることであったり、または、両親に対して・・でもいいのですが、そういったことに対して、「ありがとう」と感謝してみると、不思議と失ったらどうしようという不安や悲しさが少し、薄れてゆくことがあります。
そうやって何かや誰かに気持ちを向けて、「ありがとう」と感謝し続けていると、「悲しい」という気持ちを持ち続けるのが、変な言い方になるかも知れませんが、難しくなるというか・・「悲しい」という気持ちよりも、もう少し温かい気持ちが湧いてくるというか。
感謝というのは、将来の不安や、または悲しみに対しても、よく効く薬のようです。
4)諸行無常の世の中だから
諸行無常、この世にあるものはすべてが変わり続けていっていて、永遠のものはない・・という意味ですが、そんな諸行無常の世の中だからこそ・・
誰かを大切にしようと思えたり、今を大事に生きようと思えたり、または、誰かに優しい自分でいようと思えたり・・するのかなと、僕はそんな風に思ったりします。
親が年をとったと感じたり、年老いたと感じて、「あとどの位一緒にいられるのだろう」と悲しい気持ちにならなければ、今を大事にしようとは思えないかも知れないし、両親に対していつも感謝の気持ちを持って接することもないかも、知れません。
そういうことを考えてゆくと、悲しい気持ちになることは、辛いことでもあるけど、だけど、それは悪いことばかりじゃないのかも知れません。
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