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ネットなど、見知らぬ人からの批判を気にしない方法とは?

批判してくる人、非難してくる人がいて、そんな風に批判される度に心がざわついてしまう。

そんなこともあるかも知れません。

批判といっても色々な形があるかも知れませんが、今回は自分の身近な人というよりは、例えば、ネットなど、自分が全く知らない人、会ったこともないような人から批判されてしまった時にどうしたらいいか?

また、そういった批判を気にしないためにはどうしたらいいか?ということについて今回は考えてみたいと思います。

批判は2つにわける

批判を気にしないためにできること・・の前にまず、批判は2つにわけることができると思うんです。

1つは自分のために受け止めるべき批判。
もう1つはただ言いたいだけの批判です。

自分のことをよく理解してくれていて、自分のことを思ってくれているからこその批判というものもあると思います。

または、会ったこともないような人、見知らぬ人からの批判であっても、その相手が言っていることの中に自分が真摯に受け止めた方が自分のこれからにとってもいいかも知れないなと思えるような批判もあります。

例えば、そういった批判は自分自身を振り返る、成長させるきっかけになることもあって、受け止めるべき批判なのかも、知れません。自分のために、です。

もう1つは、ただ言いたいだけの批判です。

そこに愛情も何もない。ただ、自分と意見が違う相手を正そうとすることであったり、相手を悪くいうことで、自分のセルフイメージを守ろうとする・・・そんな批判もあるかも知れません。

または、誰かを批判することで、自分の中にあるストレスを発散しようとしている人も中にはいるかも知れません。

そういう批判は、気にしなくていい批判であることが多いかも知れません。

ここから書かせていただくことは、主に後者の方の批判を気にしないための方法、もしくは考え方・・ということになります。

批判されるということは良くも悪くも注目されている証拠

例えば、ネットで見知らぬ人から批判される、非難されるというのはあまり気持ちのいいものではないかも知れません。

ただ、そんな風にして批判されるということは、良くも悪くも自分が注目されている(そういう立場にいる)証拠でもあると思うのです。

注目されるということは、好かれるということでもあるかも知れませんし、人気がある証拠でもあるかも知れません。

ただ、同時に注目されるということは、嫌われるということ、批判されるということでもあるのかも知れません。

注目される立場にいなければ、批判もやってきません。

好きな芸能人ランキングに入っている人は、同時に嫌いな芸能人ランキングにも入っていることがよくありますが、それと一緒で、批判されるということは、良くも悪くも注目されている証なのかなと思います。

人はまた、どうでもいい人に批判なんてしてきません。それは「どうでもいい」人なのですから・・

だから、少なくともその批判している人にとって、批判している相手というのは、どうでもよくない人なわけで。その人の心のどこかに触れたから、批判されたのかも知れません。

だからといって批判されるのは、批判している人でさえ、逆の立場になれば嫌なものだと思いますが、批判された人はある意味、選ばれた人なのかなと、思います。

批判されるというのは批判される側からしてみれば攻撃されたようなもので、嫌な気持ちになりますが、そうではなくて、自分が注目された(もしくはそういう立場にいる)証拠だと思えば、少し感じ方は変わってくるかも知れません。

攻撃しようとしたのではなく、守ろうとした

先程、批判されるというのは攻撃されたようなもので・・と書かせていただきましたが、それはもっというと自分を否定されたと思うから、人の批判に心がざわついたりするのかも知れません。

批判とは相手の過ちや欠点を指摘して、正すべきだと論ずること・・ですが、これは言い替えると自分を否定されるということでもあると思うのです。

自分をよく見てくれていて、自分のことをよく知っていて、自分の言動の奥にある思いもわかってくれている人からの批判であれば、それを受け止めようと思えることもあるかも知れません。

ただ、今回のケースのように見知らぬ人であったり、会ったこともないような人からの批判というのは、そうは思えないケースが多いのではないかなと思います。

それは自分のことをよくわかっていないのに、自分を否定してきた(と感じた)から・・・なのかも知れません。

ところが・・

実際には、人を批判する人というのは、相手を攻撃したくて攻撃している場合もありますが、どちらかというと、それよりも自分の中にある何かを守るために相手を批判していることが殆ど・・のようです。

何を守ろうとしているかというのは、例えば、自分が好きなものであったり、自分が信じているものであったり、自分のプライドであったり、自分の気持ちであったり・・色々なものがありますが、自分自身、または自分の何かを守ろうとしていることが多いかも知れません。

だから、見知らぬ人から批判された時は、

「この人は何を守ろうとしているのだろう?」

と考えてみると、攻撃された、否定されたと思った時とは違った答えが出てくるかも知れません。

「全員がいいねと言うものはたいしたことがない」

「全員がいいねと言うものはたいしたことがない」

これはうどん業界で断トツの1位となった丸亀製麺を一代で築き上げた粟田貫也社長が語った言葉です。

この言葉について、「丸亀製麺はなぜNo.1になれたのか?」の著者で、社長秘書を務める小野正誉さんはこんな風に語っています。

「みんなが「いいね」と思うものを目指せば目指すほど、平均化してしまい他のチェーン店と同じになってしまいます。そして、際立つ個性がなくなると飽きられ、結局売れなくなってしまうのです」

(出典:丸亀製麺はなぜNo.1になれたのか? p.60 小野正誉著)

全員「いいね」は結局売れない。これは飲食に限らず、すべてのことに言える、と。

ネットなどで会ったこともないような人から批判されると、びっくりして、自分が批判されるようなことをしてしまったのが悪かったのではと思って、そして、次から、批判されないようにしようとする人もいるかも知れません。

確かに、明らかに自分に非があるような場合は、それを反省して次につなげてゆく必要はあるかも知れません。

ただ、批判を何でも受け入れて、そして、その都度、批判されたことをやめてゆこうとすると、尖った部分がなくなって、丸くなってゆききます。

そうすると、尖った部分がないので批判はされなくなるかも知れません。

ところが、それと同時に何故か他の人も去っていったりする。

みんながいいねというものを目指すと結局は売れなくなってしまうことと一緒なのかも知れません。

尖った部分は批判されやすいものですが、ただ、その尖った部分がその人の良さ、その人の個性であることも多いものです。

だから、批判を受け入れようとする時は注意が必要だと思います。

何でも受け入れようとすると、批判する人は去ってゆきますが、同時に自分を注目してくれていた人達も去っていってしまう可能性があるからです。

「非難されない人はいない」

「沈黙しようと
多く語ろうと少なく語ろうと
人は常に非難を浴びる」

これはお釈迦様が語られた言葉です。

お釈迦様はこの言葉を信者のアトゥラという人物に語ったそうですが、その時、「昔からそうなのだ」と語られたそうです。

2500年以上前から、人を批判する人というのはいたようです。

お釈迦様はまた、

「ただ非難されるだけの人もいない。
ただ称賛されるだけの人もいない。」

そう語ったそうです。

お釈迦様が伝えたかったのは、世の中はそういう風にできているものだと思い定めれば、人からの批判や非難に動じなくて済むようになる・・そういうことだったのかも知れません。

お釈迦様はまた、「賢者の批判は受け止めなさい」とおっしゃっています。

今のこの世の中も、お釈迦様がおっしゃるように、結局は何をやっても批判してくる人がいて、自分が思うようにやっても、やらなくても・・批判されることがあります。

だから、注目されるということはそういうことなんだ、批判されるものなんだと割り切って考えることができたらいいのかも知れません。

芸能界で長い間活躍している人達は、それこそ多くの人に批判されてきた人達でもあると思いますが、そういった人達は決まって「そういうものです」という風に話されることが多いです。

何かを何とかしようとしたりするとそれが悩みになります。

批判する人たちを何とかしようとすると、それが悩みに変わったりする。

そういう人達は「批判なんてしないで欲しい」と言っても、その話を聞こうとはしないからです。

ただ、「そういうものだ」と思い定めてしまった時に、それは悩みではなくなったりする。

そういう意味では、悩みとは、何とかしようとする心そのものなのかも知れません。

何をやっても批判する人はいる・・だけど、その反対もあって、自分がやったことに対して称賛してくれる人もいるわけです。

考え方によっては、自分がやったことを認めてくれない人がいるからこそ、自分がやったことを「いいね」と言ってくれる人たちのありがたみが増すのかも知れませんね。

自分の味方でいてくれる人を大切に

見知らぬ人、自分のことをよく知りもしないのに批判してくる人というのは、自分の一部しか見ていないことが多いのかも知れません。

その裏にある思いも知らないし、その裏にある自分だけしか知らない事情だって知らない。

だから、悲しいのかも知れません。

もっとも、批判する側も何かをわかって欲しいわけなので、悲しいのかも知れませんが・・・ただ、相手をわかろうとしない限り、その悲しみは続いてゆくのかも知れません。

少し話がそれましたが、大切なのは、自分の一部しか見ていない人、自分のことを知ろうとしない人ではなくて、いつも自分の味方でいてくれる人なんだと思うんですね。

そういう人に対して、自分も同じこと、つまり、その言葉だけで判断したりしないようにしよう・・・と思ったり、その大切な人の言動だけではなくて、その裏にある事情にも思いを向けるようにしよう・・・その批判してきた人を反面教師にして。

例えば、そんな風に思えたら、マイナスな出来事も、自分や自分の大切な人のために生かすことができるのかも知れません。