劣等感と優越感の手放し方。そして、その先にある自己肯定感
人と比べては、劣等感を感じてしまう。
もう劣等感を感じながら生きたくない。
または、
どこかで優越感を感じている自分がいる。
そんな自分を変えたい、優越感なんてものは捨ててしまいたい。
そんな風に思うこともあるかも知れません。
実は、心理学の世界では劣等感と優越感というのはとても似た感覚、劣等感と優越感は表裏一体、そんな風に言われたりします。
劣等感と優越感が表裏一体ということは、手放し方も基本的には一緒ということになります。だから、どちらかを手放せた時、もう片方も手放せたりします。
そして、この2つを手放せた時、代わりに自己肯定感が手に入ることがあります。
今回の記事では、
- 劣等感と優越感の根本的な原因
- この2つの手放し方
- 何故、劣等感と優越感を手放すと自己肯定感が手に入るのか?
といったことについて見てゆきたいと思います。
優越感はいつなんどき劣等感に変わってしまうかわからない不確かなもの
先ほど、劣等感と優越感は表裏一体、つまり、同じものである、似たものであると書かせていただきました。
どちらも他人と自分を比較することが直接的な原因になっていて、自分の方が劣っていると感じた時に感じるのが劣等感、自分の方が勝っていると思った時に感じるのが優越感です。
例えば、自分の方が劣っていると思って劣等感を感じたとしても、多くの場合、ずっとその状態ではないと思うんですね。
その時は劣っていると思っても、自分の方が勝っていると思う時だってあると思います。その時には、今度は優越感が沸き上がってきたりするかも知れません。
そういう意味で、劣等感はいつなんどき優越感に変わってしまうかわからない、そんな感覚でもあります。
反対に自分の方が勝っていると思って優越感に浸っていたとしても、世の中は上には上がいますから、いつか自分の方が劣っていると思う日がやってくるかも知れません。
世界一足の速い人も、いつかは負けるわけですから。
そして、自分の方が劣っていると思った時、今度は劣等感が沸き上がってきたりします。
優越感を感じている時は自分のことを自分でこれでいいと思えることがありますが、それは(優越感は)いつなんどき劣等感に変わってしまうかも知れない非常に不確かなものだと言えます。
こんな風にして、劣等感と優越感はどちらか一方だけを持つことはできないのです。
劣等感、優越感を手放せない本当の原因
劣等感と優越感の直接的な原因は他人と自分を比べていること。
先ほどはそのように書かせていただきました。
だけど、それはわかっているけど、それでも他人と自分を比べることをやめられない・・そんなこともあります。
だけど、何故、他人と自分を比較しなければいいとわかっているのに、それをやめられないのでしょうか?
それには2つの原因があると思います。
1つは、自信がないこと
2つ目は、自分自身に対する評価方法が間違っていること
という2つだと思います。
どういうことか、少し見てみたいと思います。
1つ目の原因は、自信がないこと
1つ目の原因が自分に対して自信がないことです。
自信とは「自分を信頼する心」という意味がありますが、それは、この自分でいいと思えている感覚でもあります。
自分の何か、例えば、能力、学歴、収入、肩書・・といった自分の何かに対して「これでいい」と思えていない状態が=自信がない状態になります。
だけど、人よりも勝っていると思えている状態であれば、それも自信がある状態と言えるのではないか?そう思ってしまいます。
人に勝つことで得る自信というものも確かにあると思うんですね。
人に勝つことで、自分のことを「これでいい」と思えることってあると思うんです。
だけど、人に勝つことで得る自信というのは、非常に不確かな感覚だったりします。
というのも、例えば、今日の試合で勝って自信を得ても、次の試合で負けてしまうかも知れないわけで、その時は手に入れたはずの自信が一瞬にしてなくなってしまうかも知れません。
人に勝つことで得る自信は非常に失いやすく、それは「本当の自信」とは言い難いものであると思います。
じゃあ、「本当の自信」って何なの?
ということですが、それは自分で自分のことを「それでいい」と思えている感覚、自分は自分のままでいいと思えている感覚で、それは外部から得るものではなくて、自分の中で完結するもの。
僕はそう思っています。
「外部から得るものではなくて、自分の中で完結するもの」ということですが、本当の自信は、人に勝つことで得るのではなくて、自分で自分のことを認めることで得られるものだと思います。
自分で自分のことをそれでいいと認められた時、それは自分に対する自信(自分を信頼する心)になり、それは同時に自己肯定感にもなります。
実は、優越感と自信の一番の違いは、自分のことを「それでいい」と思えているかどうかで、優越感は自分のことをそれでいいとは思えていない状態であるのに対して、自信は自分のことをそれでいいと思えている状態になります。
じゃあ、どうやって自分のことを「それでいい」と思えるか?ということですが、それについては下記の記事で詳しくご紹介していますので、そちらをご覧いただければ幸いです。
2つ目の原因は、自分自身に対する評価方法
他人と自分を比較しなければいいとわかっているのに、それをやめられない2つ目の原因ですが、それは自分自身に対する評価方法が間違っていること、になります。
もっと言うと、自分が自分自身をどのように評価しているか?ということが、他人と自分を比較しなければいいと思いながら、どうしても人と自分を比べてしまう原因になっていることがあります。
自分が自分自身をどのように評価しているか?
ということですが、目に見えるもの、例えば、収入とか成績(点数)ですとか、肩書、役職などで自分を評価しようとしていると、その必要はないとわかっていてもどうしても人と自分を比べたくなります。
目に見えるもの、例えば、テストの点数で自分を評価しようとしていたとします。点数が良ければよし。点数が悪い自分はダメ・・という風に。
ただ、この時、1つ問題があって、それは何点なら「良い」のか、何点なら「悪い」のか・・ということがなんとなく曖昧であることです。
そこで何らかの基準が必要になります。
言い換えると、自分よりも点数の悪い人を見つける必要があります。自分のことをそれでいいと思えるために、自分をそれでよしと評価するために、です。
これは収入にしても肩書でも一緒ですし、例えば、友達の数でも一緒です。
目に見えるもので自分を「よし」と判断、評価しようとしていると、どうしても人と比べる必要が出てきます。
このやり方、目に見えるもので自分を評価するやり方では、自分を良しと評価するために、他人がどうしても必要だからです。
このやり方、目に見えるもので自分を評価するという方法ですが、子供の頃に知らぬ間に手に入れてしまうものだったりします。
親に他の子や他の兄弟と自分を比べられてしまったことで手に入れてしまうこともあるし、学校生活の中で手に入れてしまうこともあるかも知れません。
もっとも、人に勝とうとすることは悪いことばかりではなく、ライバルと切磋琢磨することで自分自身が成長してゆくこともあると思うんですね。
ただ、劣等感に苦しむようになったり、優越感を手放したいと思った時は、ここで一旦立ち止まって、自分自身を評価する方法を変えてみてもいいかも知れません。
じゃあ、どんな方法で自分を評価したらいいか?
ということですが、その方法の1つは、目に見えないもので自分を評価してゆくという方法です。
目に見えるものではなくて、例えば、自分の在り方で自分を評価してゆきます。
例えば、結果(目に見えるもの)で自分を評価するのではなくて、過程(自分の在り方)で自分を評価するというのもその一例になります。
これについては下記の記事で詳しくご紹介していますので、興味のある方はそちらを参照ください。
ただ、いずれにしても、そのような形で他人と自分を比較することなく、自分を自分で認めてゆく・・ということを続けてゆくことで、劣等感や優越感を手放すことができるようになります。
そして、その時、穏やかな自己肯定感が手に入ることがあります。