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自分に自信がない時の2つの自信のつけ方

今回は自信と自信のつけ方というテーマで書かせていただきたいと思います。

自信とは「自分を信じる」と書きますが、自信は誰かから否定されたり、結果を出せなかったり、失敗したりすることで案外簡単に失ってしまうものなのかも・・知れません。

親から、特に自分の母親に認めてもらえなかった人は大人になっても自分に自信が持てないことがある・・・そう指摘される専門家の方もいらっしゃるようです。

経験の上にしか成り立たない自信

自信というのは、経験の上にしか成り立たないものと以前書かせていただいたことがありました。

何かをするのに、自信がない・・・だけど、それで僕はいいんだと思うんです。
そんな時に必要なのは自信ではないと思うんです。

もし仕事をしていて、まだやったことのない仕事に対して自信があったら、それは過信か驕り・・・なのかも知れません。

自信とはまた絶対にうまくいくという心でもないと思うんです。

何かが絶対にうまくいく保証はないと思うんです。すご腕の経営者の方でも例えば、10個新しいビジネスをはじめたら、1個成功するかしないか・・・だそうです。

そんな経営者が持っているのは、絶対に失敗しないという確信ではないのかも知れません。

むしろ、確信がないこと、不安になることがあるからこそ・・・何をやるべきかと考えることができるものだと思うんです。

必要なのは、そういった不安を受け止めて、それでも進もうとする勇気のようなものなのかも知れません。

もう1つあった、自信の新しい形

教師として30年以上に渡って子供達の問題を解決し続けてきた平光雄先生という方がいらっしゃいます。

平先生はご自身の著書の中で、自信とは「自尊」の念ととても近い・・・と語られています。

「自尊」の念とは、自分が自分に対してこういう自分でいいと思う心のことです。

僕が思ってきた経験の上にしか成り立たない自信の他にもう1つ、自信の形があるのかなと・・・そのお話をお聞きして思いました。

それは、自分が自分に対して、「こんな自分でいようとすること」をよしとすることなのかなと・・・思ったんです。

経験の上に成り立つ自信もあります。だけど、それは結果が伴っている必要があります。何度も失敗を重ねて、その中で掴みとってゆくものが1つの自信の形だと思うんです。

自分に自信がない・・・そう思った時、このやり方では何か結果を出してゆく必要があります。それはそれで大切なことだと思うんです。

だけど、「自尊」の念に似た自信とは・・・結果が伴わないことがあっても仕方がないという潔さや諦念(ていねん)がセットであると平先生はおっしゃいます。

それはきっと結果よりもプロセスを大事にする気持ち、もっというと、こんな自分であろうとする思いそのものを大切にする気持ち・・・というか。

冒頭で自信は誰かから否定されたり、結果を出せなかったり、失敗したりすることで失うもの・・・と書かせていただきました。

でも、「自尊の念に似た自信」は、こんな自分であろうとすること、そして、そう思って実践しようとする自分でいいと・・・そう思う心なので、結果は必ずしも伴う必要はないし、もっと大切なことは他人は関係ないので・・・人に否定されてたとえ残念に思ったとしても、「自尊の念に似た自信」は失うことがありません。

こういう自分なら自分でまぁいいかなと思える心がこの場合の自信そのものなので。

自信は人に認めてもらったり、褒めてもらったり、評価してもらっても、つくものだと思うんです。でもその自信は案外もろく崩れやすいものかも知れません・・。

自分を信じる心というものに他人は本当は関係ないのかも知れません。

※この記事の内容も含めて、自信がない、自信が持てない自分を変える方法とは?に続きを書きました。