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親しかった人(友人や親戚など)が自分勝手な人に変わってしまった

以前はとても優しくて、友達思いだった親友が、長い間会っていない間にとても自分勝手な人に変わってしまった。

自分のことより、相手のことを考えてくれていた人が、ある時から、自分の気持ちばかりを押し付けてくるようになって、こちらの気持ちを無視するようになった。

もし、そんなことがあった時、何をどう考えたらいいのかということについて今回は考えてみたいと思います。

相手にも事情があるのだろうと思ってみることで

自分勝手とは、一方的で相手のことを考えないことを言いますが、やはり、自分の気持ちを無視されるのは、誰だって嫌なものだと思うんです。

人は尊重されたい、認めてもらいたい、わかってもらいたいものだと思います。

自分勝手なことをされるというのは、そういう気持ちを無視されていることになるわけです。

だけど、そういう気持ちすら、理解してもらえないこともあるかも知れません。

人はただ、そういうことは多くの場合、理解していて、だから、それを思い切り出してきたりはしないものだと思います。

もっとも、人は誰だって程度の差はあっても、自分のことしか考えられない時というのもあるものだと思うんです。

そういう時があってもいいと思うんですね。

ただ、ずっと自分のことしか考えられないでいるのは、ずっと自分勝手なままというのは、何か事情があるのかも知れません。

特に冒頭の例のように、以前は優しかった人がそんな風に変わってしまうのは、何か必ず理由があるものだと思うのです。

その理由はこちらにはわからないし、理由がわかったとしても、どうにもならないことなのかも・・知れません。

だけど、相手にも何か理由があるのだろう、何か事情があるのだろうと思ってみることで、その相手を残念に思う気持ちからは少しだけ・・・楽になれるかも知れません。

何故人は人間関係で苦しくなる?

少し話は変わりますが、何故人は人間関係で苦しくなったりするのでしょうか・・?

それは何かに執着しているからなのかも知れません。

もうずっとずっと昔にお釈迦様が教えてくださったことですが、人は執着した時に苦しくなってしまうようです。

執着についてはお釈迦様の教えと「執着」にて詳しく書かせていただいたので今回は簡単に書きますが・・・

執着とは、大胆に考えてみると・・・「こうであって欲しいという思い」でもあるのかも知れません。

あんなに優しい人だったのに・・・(今も)そういう人であって欲しいという思いであったり。

自分勝手なことをされてこちらが悲しい思いをしていることをわかって欲しいという思い、気づいて欲しいという思いであったり。

そういう思うことってあると思うんです。
わかってもらえないことはすごく辛いことだと思うんです。

だけど、そういう「こうであって欲しいという思い」が自分の今の苦しみに変わっているのかも知れません。

それが執着というものなのかな、と。

「この人はこのままでいい」と思えた時、楽になれる

じゃあ、どうやったらその苦しみから解放されるのか・・・と考えてゆくと、その「こうであって欲しいという思い」を捨てることなのかなと、思うんです。

お釈迦様が執着を手放せば楽になれると教えてくださったように。

あんなに優しい人だったのに・・・という思いや、自分勝手なことをされてこちらが悲しい思いをしていることをわかって欲しいという思いを捨てること。

それは何だか自分だけが苦しい思いをするような気持ちになることかも知れませんが、ただ、その思いを捨てた時、楽になれるのは自分だったりします。

「この人はこのままでいい」

・・・そう思うことは難しいことだけど、そう思ってみると、信じられない位、その苦しみから解放されてゆきます。

人は尊重されたい、認めてもらいたい、わかってもらいたいものと冒頭で書かせていだきました。

「この人はこのままでいい」というのは、相手を諦めるということで、それは何だか冷たいような気もするけど、それは相手のことを相手のまま認めること、わかってあげること、なのかも知れません。

「この人はこのままでいい」

そう思えた時、「こうであって欲しいという思い」を捨てることができて、それはつまり、執着を手放させた・・・ということでもあって、だから、気持ちは一気に楽になれるのかも知れません。

「こうであって欲しいという思い」を捨てた時、じゃあ、自分はどうするか?という考えが自然と浮かんできます。

相手をどうするかではなくて、自分がどうするか?自分はどうするか?ということが浮かんできます。

その結果、距離を置こう、時間を置こう、お付き合いを一旦やめようという結論になるかも知れませんし、何かほかに考えが浮かんでくるかも知れない。

自分はどうするか?と考えた時、主導権は自分にあります。

相手をどうするか?と考えた時、それは相手次第なので、主導権は相手にあります。

主導権を相手に渡すと、ずっと悩み続けてしまうことになります。

相手は変わらないからです。少なくとも、こちらが変えようと思っても変わることはありません。

人は誰かに言われて変わることが嫌いだからです。

だけど、主導権を自分が握れば、悩みからは抜け出すことができます。

ただ、それは辛い決断でもあるかも知れません。親しかった人から離れなければならない決断だったりすれば、尚更です・・

それは悲しいことでもあるし、その悲しい気持ちは捨てることはできないものでもあって・・

だけど、そこから何かに気づくこともあって。悲しい気持ちになったことで学ぶこともあるように思うんです。

それに、また時間が何かを変えてくれるかも知れません。

また自分の気持ちが変わってくることもあるし、一度変わった人はまた変わることだってあるわけで・・

人間関係の悩みというのは、100%お互いに幸せな抜け出し方というのは、もしかしたらないのかも知れませんが・・、ただ、どうせ辛い思いをするなら、そこから何かを学びたいと、僕はそんな風に思っています。