人の欠点ばかりが気になる本当の理由
他人の欠点がやけに気になる時があります。誰にでも欠点というものはありますが、その中でも気になるものと気にならないものがあります。
例えば、僕がせっかちな人に妙にイライラしたとします。
その原因は自分にもせっかちなところがあるという理由だったり・・・します。相手の中に自分の欠点を見ているようで気になるのです。
そういう意味では自分の周りにいる人は鏡のようなものなのかも知れません。周りの人に見えるものは自分の中にもあることが多いようです。
例えば、目の前に友人に対して、「友達思いのいい人」・・・と思ったとします。
そんな時は自分も同じものを持っていることが多いものです。そう相手に対して思った方も同じように「友達思い」なんだと思うんです。
そういう風に相手の中に見える欠点もそうでしし、長所というのも、実は自分の中にもあることが多いようです。
正しいことをしようとすると、他人の間違いが気になってしまう・・・
人は辛いことがあるとそれを乗り越えるために精神を鍛えようとか、成長しようとすることがあります。
それはとても良いことだと思うんです。
しかし、精神修行にはある落とし穴があるように思います。例えば、正しいことをしよう・・・と思うこと。それは素晴らしいことです。
人の悪口は言わないようにしよう。それも素晴らしいことだと思います。でも、そうやって自分が正しいことをしようとしていると、いつの間にか同じことを他人にも求めてしまうことがあります。
正しいことをしようとすると、他人の間違いが許せなくなってしまう・・・そういうものなのかも知れません。
何故そうなってしまうかと言うと、それは、自分を許していないからだと・・・思うのです。
自分に悪口を言うことを許していないと、他人が悪口を言うのも同じレベルで許せなくなります。
人はどうもそういう風にできているようです。
他人の欠点ばかりが気になるのは、自分に許していないことが多くて、それを他人が持っていることが許せないからかも・・・知れません。
まずは自分を許してあげることから
他人を許すには、まず自分を許してあげなければならないようです。
人は完璧ではなくて、強さもあれば弱さも持ち合わせているものだと思うんです。長所があれば、短所や欠点もあるものだと・・思います。
そんな自分の弱さであったり、欠点のようなものをそれでいいと、完璧ではなくてもいい、欠点があるということは長所もあるということだから・・・と、例えばそんな風に自分の弱さも許してみます。
すると自然と、同じように他人の欠点も許せるようになると・・・思います。
避けるのではなく目指すと上手くいく
僕は、自分に○○をしてはダメだ・・・というやり方はどうもうまくいかないような気がしています。
人は○○をしてはダメだと言われると、その○○ばかりが頭に浮かぶようになるようです。
暑い夏にアイスクリームのことだけは考えないでと言われると、アイスクリームのことばかりが逆に頭に浮かんでくると思うんです・・・それと同じで・・
だから、否定するのではなくて、あえて何かを目指すようにするといいのかも知れません。
例えば、他人の欠点ばかりを見ないようにしよう・・・というのは、うまくいかないかも知れません。
それよりも目指すことですから、例えば、この場合であれば、相手の良い点を見よう、相手の長所を探そう・・・という風に目指すようにする。
すると否定するよりも上手くいくかも、知れません。
他人に対して、欠点を見てはいけないとか、悪口を言うのはよそう、陰口はやめよう・・・・と自分を否定したり、押さえつけたりするよりも、積極的に目指せるものを決める。
その方がうまくいくと、僕はそう思っています。