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幸せの見つけ方

僕はずっと長い間、幸せとは手に入れるものだと思っていました。
だけど、僕は何かを勘違いしていたのかも知れません。

何かを手に入れて、幸せだと感じることがあったりします。
でも、その幸せがずっと続くかというとやっぱり違うわけで・・。

「結婚したら幸せになれますか?」

という方もいます。僕は幸せになれると思うんです。でも、二人は末永く幸せに暮らしましたとさ・・・というような物語のようにはいかないわけで・・。

やはり、結婚した時の幸せはあっても、その気持ちはその時だけのものでずっと続くわけではなくて。

それでも毎日幸せだと思って暮らしている方も勿論ですが、います。そんな方々はきっと幸せの見つけ方が上手な人ではないかなと思うんです。

幸せはその瞬間にしかないもの

人生はもしかしたら、沢山の幸せを見つけた人ほど、幸せだと感じるようにできているのかも知れません。

大きな幸せ、小さな幸せ・・・色々ありますが、大事なのは大きさではなくて、その「数」ではないかな・・・と。

だとしたら、見つけた方がいいのは小さな幸せの方かも知れません。
見つかりやすいから・・・です。

結婚する、夢を叶える・・・というような大きな幸せはそんなに手に入りません。だけど、小さな幸せなら沢山見つけることができます。

朝起きて、窓を開けたら心地いい風が流れてきた。それを当たり前のことと思うこともできますが、「あぁ気持ちいいなぁ!」と思うこともできます。

毎朝、挽きたてのコーヒーを入れる。その瞬間に「あぁ~いい香りだなぁ」と思えば心地よい気分になれますが、当たり前のことだと思うこともできます。

幸せってもっともっと身近にあるものかも知れません。
そして、それを1つ1つ見つけてゆくと、どんどん幸せになれるのだと思うのです。

その瞬間、瞬間が重なりあって、幸せな人生というものができてゆくのかも知れません。でも、反対についてないことを見つけようとすると、どんどん不幸な人生になるのかも知れません。

人生は、幸せを数えるか、不幸を数えるかで、全く違ったものになるように思ったんです。

もう1つの幸せの見つけ方

ある方がご自身の著書の中でこのようなことを語っていらっしゃいました。

私は息をしているだけでも楽しいし、幸せだと感じる・・・・と。

僕にはそんな境地にはなれそうもないなあ・・・と思って読み進めると、「それが感じられないのであれば、息をとめてみてください」と書かれていました。

息をとめてみます。

・・・苦しくなります。

本当は、息ができるだけで幸せだったのかも知れません。考えてみれば、自分ではもう息ができなくなって、機械の力を借りなければ生きられない方もいます。

ある方が僕にメールをくださいました。

その方も辛い思いをされてきたのですが、そんな時に難病と闘いながらそれでも一生懸命に仕事をされている方とお話されたそうです。

その時、「自分は健康だし、夢もある、まだまだやれる」そう思われたそうです。

普段当たり前にやっていること、当たり前に思っていることの中にこそ、本当の幸せがあるのかも知れません。それも信じられない位沢山。

息ができること、歩けること、話せること、聴こえること、健康なこと・・・そういう当たり前と思ってしまうようなことに幸せを見つけられる人は、ずっと幸せでいられる人なのかも知れません。

僕はふと、朝起きてから寝るまでに、一体いくつの小さな幸せを見るけることができるかな?と考えてみました。朝のコーヒーでしょ・・・今日も健康なことでしょ、家族が居てくれることでしょ、今日も仕事ができることでしょ・・・。

そう考えている時は信じられない位幸せな気持ちに包まれます。

小さな幸せを見つけた時に僕は「幸せだなぁ」と口にすることを口癖にしています。何故かはわからないけれど、そう口にする度にまた1つ、また1つ幸せを実感できます。